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「吉例顔見世中村勘九郎襲名披露公演」@南座(1)本当の損失

南座の襲名披露公演も、楽の日が近づいてきた。
初日を開けたときは、思いもしなかった父・勘三郎の死を経て、
この公演は何を見てもそのことと関連付けずに見ることはできない。
たとえば「壽曽我の対面」
番附(関東では「筋書」と呼ぶ。パンフレットのこと)には、この演目について
「おめでたい演目で、襲名にふさわしい」と書いてあるけれど、
父を亡くした曽我五郎十郎兄弟が親の仇に会いにいくこの話、
いつものように「スター勢揃い」をあてこんで、安心して観るという気になれない。
勘九郎は、渾身の演技で五郎を熱演。
いつもは「型どおり」の乱暴者の五郎と、なよっとした十郎を何気なく眺めているが、
今回は兄弟の、父を亡くした悲しみの行きどころのなさが身に染みた。
親の死を嘆き、恨みに今にも爆発しそうな五郎(勘九郎)に対し、
満座の面々は「行儀作法を知らない」と冷やかに嘲笑する。
後ろ盾を亡くした子どもらに、世間は冷たい。
すぐにでも仇を討とうと場所柄もわきまえず見境のない五郎に、
「プライベートは後回しだ」と言い放つ工藤佑経が仁左衛門。
その仁左衛門は夜の「口上」で勘九郎の勉強熱心をほめつつも
「芸の道は厳しゅうございます」と釘を刺し、
「よくやっている」とか「熱心」だけで終わらせるな、
観客も応援とともに、常に厳しい目で見てくれと付け加えた。
五郎の兄・十郎は時蔵。年長者は悲しみを胸に秘め、
血気にはやる五郎の思いを受け止めつつ、「礼を失するな」とやさしく押しとどめる。
時蔵は、勘三郎を同い年だという。
五郎を仇の工藤と対面させようと腐心したのは小林朝比奈で、橋之助が演じる。
ことをわけて話し落ち着かせようとする朝比奈の人のよさ、人情深さは
まさに勘九郎・七之助兄弟の頼もしき理解者である橋之助そのものの姿を見る思いだった。
だから非常に感動的だったし、
お話のもつ力もストレートに伝わってきたけれど、
勘九郎の五郎は、
踏み込みの力強さ、表情の豊かさに反して、発声がかすれ聞き苦しかった。
思えば、
これが私の「予感」の最初だったかもしれない。
飛んで夜の部。
「口上」では一人ひとりが勘三郎を惜しみ、
勘九郎、七之助、そして中村屋を頼むと心から観客に乞うた。
そこには、「愛」があった。
だから、泣けた。私は涙を抑えることができなかった。温かい涙だった。
見事なまでに華やかな口上の面々は
仁左衛門が言うとおり「この座組みは勘三郎さんの力があってこそ」であり、
しかし「たとえそうでも勘九郎さんがまったくダメではどうしようもない」のだけれど、
「彼が期待以上にやってくれている」からこれだけ盛り上がっているのである。
父の死の直後は「どうしていいかわかりません」と涙していた七之助も
「いつまでも下を向いているわけにはいかない」としっかりと前を見据えている。
しかし、
祝祭気分はここまでだった。
皮肉にも私がもっとも期待していた「船弁慶」で、
昼に私が「予感」したものが、本当の姿を現した。
私は勘三郎の「船弁慶」を見たとき、勘三郎の本当の凄さに感じ入ったものだ。
前半は静御前、後半は平知盛の亡霊という難しい役どころ。
この静の素晴らしさに私は胸を打たれた。
玉三郎とか菊之助とか、女方のような「美しさ」を
勘三郎に求めても仕方ないと思っていた私だったのに、
勘三郎の静は美しかったし、気高かったし、
歌舞伎も超越して絶世の存在としてそこにいた。
この歌舞伎のもととなった能のたたずまいを見せつけた。
それに対し勘九郎の静は、
よくいえば人間的な静ではあった。
義経に捨てられて、唇を噛みしめる。
別れに一差し舞ってみよと言われ、舞い出すと興が乗る。
白拍子としての哀しいさがなのか。
だが勘九郎の静を、私は評価しない。
最初から最後までその発声がまずい。
女方の声にもなっていない。
ただ「女のように」裏声でしゃべっていただけだ。
足の運びにも重厚さが感じられなかった。
動作や表情のひとつひとつに意味を見てとれなかった。
もし、勘三郎が生きていたら。
生きているうちにこの演目を指導していたら。
勘九郎の静は違っていた、と私は確信する。
二月、三月、十月、そして今回と、勘九郎の襲名披露はすべて見ている。
その前の平成中村座も見てきた。
勘九郎の成長は目覚ましい。
何が素晴らしいかといえば、「完璧さ」が素晴らしい。
たとえ今は未完成であっても「完璧な芸」を志している過程であることが見て取れたから、
観客は勘九郎が単なる「若手」から脱皮したと思ったのである。
しかして今回。
勘九郎の芸は荒れていたと私は思う。
曽我の五郎の発声。静の発声。
五郎が飛びかかろうとして十郎が止める形も、二度、三度と反復ばかりで変化が乏しい。
皆が口をそろえて「よかった」という後ジテの知盛でさえ、
私には不満が残る。
亡霊として足音をさせない跳躍は見事だった。
しかし薙刀を振り回し、自らも回転しつつ花道を行き来するクライマックスは、
力任せであったり技巧に目が行ったりして
「緻密さ」は二の次。粗さが目立った。
勘三郎が指導していれば、こんな芸でOK出してたはずがない。
同じことが、七之助にもいえる。
静が退出し、知盛が出てくるまでの間、
義経一行が乗った船を漕ぐ漕ぎ手として舟長と舟子が出てくる。
舟長は左團次、
舟子は扇雀と七之助だった。
3人が櫂に見立てた長い棒を持って、長い時間漕ぎまくる。
3人は同じリズムで同じように漕いでいるが、微妙に漕ぎ方が違う。
もっとも美しく、そしてリアルなのが扇雀。
棒の角度は45度。棒の下の位置は動かず、水の中で水圧を感じさせる。
左團次は自然体。
棒の角度は30度。楽~に棒を持ちながら、しかし棒の下部は動かない。
省力だし、脱力だし、でも、その棒で舟を漕いでいるとわかる。
問題は七之助である。
棒の下部も上部といっしょに動いてしまうのだ。
そこに「水圧」はない。棒は重心も支点も失い、動きはバラバラになって宙に浮く。
これらを「年期の違い」と片づけるのは簡単だ。
しかし七之助は、もはや舟子にはみえなかった。
「早く終われ」と思いながら旗を振っている子ども同然。
それで「よし」としている七之助に、私は失望したのである。
私はドキュメンタリーで、
仁左衛門が幼い孫・千之助に連獅子の稽古をつけているとき
「回数は少なくていい、1回1回をきれいに回せ」と厳しく諭す場面を見ている。
まさに
「血気にはやる五郎」をどんなことがあっても押しとどめて真の大願成就に導けるのは、
肉親だけといえよう。
勘三郎の死を知ったとき、
私が最初に思ったのは、勘九郎と七之助の「後ろ盾」がいなくなるということだった。
勘九郎も七之助も、父・勘三郎が次々と打ち出す多くの興業において、
主役級の役を常にもらってきた。
大役への新しい挑戦は、二人にとって大きな経験である。
しかし、
そのことが逆に、端役を重ねることで身に付く基本を置き去りにする危険性がなかったか。
その「危険性」を十分知っていたからこそ、
勘三郎の稽古はとてつもなく厳しかったのではないか。
黙っていても主役が向こうからやってきて、
その役を何度もやったことのある父親が頼みもしないのに稽古をつけてくれる。
そんな幸せな身分であったこの兄弟は、この1年で祖父も父も亡くした。
今後「後ろ盾」がないで役がつくのか、
それが私の心配であった。
しかし、「後ろ盾を失くす」真の大変さは
「本当のことを言ってくれる人を失くす」ことなのだ。
親は子を叱る。どんなに叱っても、悪態ついてもぶんなぐっても、
愛する子どもに本当のことを伝えようとする。
その人が、いなくなったのである。
本当の恐ろしさはこれだったとつくづく思った。
何度おしえてもうまくやれなかったときに
他人がどこまで必死に教えてくれるのか。
「いいんじゃないの?」「まあ好きにおやんなさい」と言われたら
もうそれまでである。
だからこそ、
仁左衛門が「口上」で言った言葉が胸に突き刺さる。
「しかし芸の道は厳しゅうございます」
「精進を重ねていつか立派な役者になってもらいたい」という人は多かった。
たしかに中村屋を見捨てる人はいないかもしれない。
しかし、
この2人を真に厳しく育てられる人は、少ないのである。
せっかくの逸材である勘九郎と七之助は、そのことを肝に銘じるべきだ。
そして諸先輩方には、
この2人を厳しく、厳しく育ててほしい。
そして、
いつの日か、私をうならせる「船弁慶」を見せてもらいたい。
それが私の切なる願いである。
私の見た勘三郎の「船弁慶」レビューはこちら
顔見世興行のほかの演目については、別に述べる。

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