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今だから語れる、熊川のロイヤルバレエ退団の真相(3)

CNN「Revealed」の和訳のラストは、熊川哲也に対するQ&Aです。
日本人には、まま結果オーライのところがあって、
今の関係がよければ
「いろいろあったけど、ま、いいじゃないか昔のことは」みたいな、
忘れたフリができるのか、
本当にわすれちゃうのか、
過去のことをあれこれネチネチとり上げて糾弾することってあまりしません。
でも、
本当は「やったことはやったこと」として、
今、どんな地位にあったとしても、その責任はとらなくちゃいけない。
「Revealed」の記事を読んでいると、
今や熊川哲也が日本のバレエ界になくてはならぬオトナになったからこそ、
インタビュアーは彼の「過去」について、
はっきりさせようとしているということを、感じずにはいられません。
そして、
熊川は、逃げずに、当時を振り返ってきちんと答えています。
インタビューの冒頭は、熊川の幼い頃のエピソードや、バレエを始めたきっかけ、
ロイヤルに行くに至った経緯などに関してです。
このあたりはいろいろなところで言われていることなので、省略します。
どんなやりとりかは、原文を見てください。(今月中は見られると思います)
ちょっと面白かったのが「ロンドンの第一印象は?」という問いに対しての答え。
「想像と、100%違ってましたね。
 だって、日本人って、アメリカ映画で育ってるんですよ。
 日本の外っていったら、即、アメリカっていうのが僕のイメージ。
 だから、想像していたものは、大きなハンバーガーとか、広ーい道路とか、大きな外車とか。
 ところが、ヒースロー空港に着いた途端、何か違う。
 気候も暗いし、雨だし、道路は狭いし、おまけに日本と同じ右ハンドル!
 イギリスはアメリカと違うんだって気がつきました。
 正直言って、ちょっとがっかりしましたね。でも、最初の一週間だけ。
 その後は、本当に楽しいところでした」
また、ロイヤルの仲間が熊川哲也のことを「Teddy」の愛称で呼んでいたのは、有名な話。
「哲也」が「T」で始まり、「kuma」の意味が「熊」だから、テディベアの「テディ」。
命名したのがクラスメイトだった、というところまでは知っていましたが、
その友だちっていうのがルーク・ヘイドンだったなんて!
Kバレエの「ドン・キホーテ」でその人をやっている、あのお方です!
Kバレエというのは、本当に熊川とロイヤルとの友情で支えられているんだな、と
改めて思いました。
(でも、熊川の著書『メイド・イン・ロンドン』には、ちゃんとルークの名前が書いてある。
 この時は“ルーク・ヘイドンというクラスメイト”と言われても、読み飛ばしちゃったんですね)
さて、本題に入りましょう。
―ロイヤルでの10年間、あなたは素晴らしいキャリアを積んできたわけだけれど、
 そこで不満がたまった、ということですね。もっとも大きかったのは何ですか?
「別に不満はないですよ。いい時を過ごさせてもらったし、いい仕事をした。
 アンソニーからもらった役はすべていい役、大役で、僕にピッタリだった。
 僕に合わないような役、彼は一度も回したことないですよ。
 だから、彼の部屋に行って
 『僕にはこっちの役が合ってるんだ、どうしてこの役をくれないんですか?』なんて、
 文句を言ったり注文つけたりしたことはありません。
 だから“不満があった”とはいわない。
 でも、“飽きていた”とはいえるかもしれない。
 だって、ずっと同じ役の繰り返しでしょ。
 それに、僕は舞台芸術に関心があったんです。例えば照明とか、衣装とか、舞台装置とか。
 そこらへんが、僕がロイヤルを離れた理由かな」
―その「離れ方」が、かなり混乱を招きましたよね。覚えておいでですか?
「若かったってことです。辛抱が足りなかった。一刻も待てなかった。
 出ようと考え出したら、もうすぐにでも出なくちゃ、…と思ってしまったんです。
 でも、もっとちゃんとしたやり方がありましたね。
 だから、あのやり方は、自分でも誇れたものではないと思っています。
 また、あの決断はもちろん、僕だけで決めたわけじゃない。他に5人いましたからね。
 みんな一緒になって、まあ、うきうき興奮したというか、
 子どもがちょっとイケナイ計画練って、楽しい、みたいなところがありました。
 思うに、時期が悪かった。
 もう次のシーズンのリーフレットに僕の名前が載っていたし、
 そのことを僕は拒否もしていなかった。
 『もう戻りません』のFAX一枚ですからね、最悪です。
 カンカンだったと思いますよ、みんな」
―どうしてKバレエを日本で立ち上げようとしたんですか?
「答えは簡単。僕の生まれたところだから。
 僕はどの国でも行けた。アメリカとか、ね。
 でも日本が一番やりがいがあったんだ。舞台の仕事、ことにバレエの仕事をするには。
 ロンドンやニューヨークに比べたら、そうとう遅れてますよ。
 まず環境が整っていない。
 舞踊というものが、正当な扱いを受けていないし、観客はバレエを知らない。
 もちろん、英国ロイヤルバレエもパリのオペラ座も来るし、お客はつく。
 でも、それは日本のバレエ団のお客にはならないんだ。
―そこで、Kバレエによって築こうとしたものは?
「プロフェッショナルな舞台。一切妥協のない舞台。壮大かつ、きっちり出来て隙のない舞台」
―現在のあなたの生活は、いかがです? ロンドンと比べて変わりましたか?
「ロンドンにいた時は、ただのダンサーだった。 
 常に誰かにあれやれこれやれと言われて、そのルールの下でしか生きられなかった。
 カンパニーに支配されてた。
 でも、僕はもっと自由になりたかったんだ。
 だから、自分で自分のことを決められてよかったし、そういう事態を自分で起こせてよかった。
 この喜びは後から後から出てくる。ただのダンサーであることずっと大きい」
自由。
自分で自分を決めること。
これが、彼のキーワードかもしれません。
3回で終わろうと思ったんですが、
あと1回、
続きを書こうと思います。

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