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「敦~山月記・名人伝」


敦 山月記・名人伝(DVD) ◆20%OFF!
「新しい時代の息吹を取り入れようとする古典ほど、恐ろしいものはない」
これは、何も歌舞伎に限ったことではない。
能の世界でも狂言の世界でも、
多くの天才たちが、古きに甘んじず、「今」または「他」の世界に飛び込んで、
新たな表現を模索し、提示し続けている。
野村萬斎も、
狂言を突き詰めながら他の演劇にも食指を伸ばす古典芸能者の一人。
現在、自身が芸術監督を務める世田谷パブリックシアターで
シェイクスピアのリア王を翻案した「国盗人」を上演している。
「敦 山月記・名人伝」は、2005年にこの世田谷パブリックシアターで初演、
昨年再演もされた名作である。
この作品のすごいところは、第一に中島敦に対するゆるぎないリスペクト。
「山月記」「名人伝」については、一字一句小説の文面を違えずに
いわば朗読劇の延長のような形で劇を展開している。
中島敦の漢文調の名文が、狂言師の重厚な朗読によって見事に生きる。
この作品を「読んで」感動し、だからこそ劇場に足を運んだ人間を
決して裏切らない作りとなっているのである。
そこをおさえながらも、「敦」という題名のままに、
劇全体に「中島敦という人間はいかなる男だったか」をかぶせたところに
萬斎のオリジナリティが薫り、
「山月記」と「名人伝」を単に並べただけはない魅力を生む。
丸い黒ブチ眼鏡をかけた背広姿の「敦」が
中国を舞台とした二つの作品のところどころを駆け抜ける。
それは、作品を生み出す小説家の産みの苦しみを表すようでもあり、
作品に流れる小説家の血脈のようでもあり、
突飛でありながら、決して違和感がない構成の底流となった。
第三の魅力は、野村万作その人である。
「山月記」で、山にこもり最後は虎になってしまう李徴を演じ、
これ以上ない迫力で観客に迫る。
確固たるコトバ、そして、俊敏なカラダ。
日本にこの人あり、という狂言師の底力を見せつけられる。
シンプルな舞台のまん真ん中に立つ万作の求心力。
私たちはただただ息をのみ、李徴の苦悩に心を沿わせ、
最後にふっと姿を消すその所作の見事さに不意をつかれると、
完全に虎になってしまったであろう李徴の行方と自分の余韻を重ね合わせるのだ。
「挑戦するDNA」は、萬斎から始まった突然変異ではない。
万作は、1974年、「冥の会」でこの「名人伝」「山月記」をやっているという。
30年ぶりの中島敦の世界再演に、
彼の興奮と意気込みを察する。
30年という重み。
30年という充実。
若い時には気づかなかった様々なことを含め、
きっと人物造形には余念がなかったことだろう。
最後に。
万作の「山月記」が重鎮の「名演」だとすれば、
萬斎は、「名人伝」の軽妙さでこの上演を我がものとした。
重々しい「山月記」に続く「名人伝」は、まさに狂言の魂そのままに面白可笑しく、
劇場は数分おきに笑いの渦が起こる。
共演の石田幸雄の男女二役もニヤリとするほど芸がこんでいてさすが。
万之介の老紀昌(萬斎扮する紀昌が矢を教わる老いた名人)のボケ加減にも思わず膝を打つ。
「矢」が見事に命中するさまなどは、
NHK教育テレビの子ども番組「にほんごであそぼ」でも登場するような
象形文字としての漢字の性質をうまく利用し、
後ろのスクリーンを使ってスピーディーな語りを補強し、本当に飽きさせない。
劇を観たあと、もう一度原作を読み返してみた。
「名人伝」って、こんなに面白かったっけ???
萬斎の演出の鮮やかさが、
大好きな「敦」の世界を、もっと豊かにしてくれたと思う。
感謝、感謝。
音楽は舞台の左と右に鼓の亀井広忠と尺八の藤原道山。
ナマの音の迫力が、じんわり残る名演奏だった。
山月記・李陵

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