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「ネオ・ファウスト」


手塚治虫漫画全集(368)
手塚治虫絶筆のマンガ、「ネオ・ファウスト」
この前紹介したように、
手塚治虫は20代でゲーテの「ファウスト」をマンガ化、
ついで40代に「百物語」という日本の時代物として翻案マンガ化、
そして晩年、日本の1958年以降を舞台に再び翻案したのが
この「ネオ・ファウスト」です。
学生運動たけなわの頃、象牙の塔で研究にいそしんでいた老学者・一ノ関が
「あと30年あれば、この研究を完成できるのに…」と思ったところに
“牝フィスト”が現われ、
一ノ関は彼女と
「時よ止まれ、お前は美しい」と自分が言ったら魂を渡してもよいという契約をするのです。
牝フィストは一ノ関を1957年に連れていくとともに若返らせ、
それまでの記憶をすべて消し去ります。
何と言えば魂を渡さなければならないのか、それすらも忘れた一ノ関。
第一と名乗り、牝フィストの“助言”を受け
坂根という富豪の片腕となっていきます。
この話はタイムマシン物語によくあるパラドクス
つまり、過去に戻った自分が現在まで生きると、前の自分に出会ってしまうという矛盾を
非常にうまく使って展開され、
第一部の終盤は、「そうくるか!」というつじつま合わせに思わずヒザを叩いてしまうほど見事。
科学者である手塚氏らしく、今回はクローンや生命科学といった問題がテーマで、
武器商人の話も出てきます。
「人間が悪魔に魂を売る」という言葉の意味を、突き詰めていく手塚氏。
単に「もっと生きたい」をかなえてくれる魔法使いではなく、
「目的のためには手段を選ばず」の恐ろしさを、牝フィストが体現、
可愛く美しくチャーミングなキャラクターの一方で悪魔らしい底知れぬ恐怖を感じさせ、
その点で、いじらしくて感情移入してしまう「百物語」のスダマは
「悪魔」にしては善玉だったな、と思ってしまいます。(そこがまたよかったんだけど)
この「ネオ・ファウスト」を描いていたころ、
手塚治虫はカルチャーセンターでこの作品について講演をしているのですが、
「今の若者は自分たちに比べて未来に希望を持っていない」そのリアルさを出したい、
というようなことを言っていました。
前の二作品に比べると、ずっとシニカルで、殺伐とした閉塞感が漂います。
しかし、
どうあがいても未完は未完。
過去から1970年代までを描いた第一部は、ある意味史実をうまく取り込んで構成されていますが、
第二部は現在から未来を展望して描くことになり、
本来、ここからが本当に彼のいいたいことがつまっていたのではないかと思うと、
途中で亡くなられたのが残念でたまりません。
手塚氏の死後、
「ネオ・ファウスト」の内容に酷似したアニメの絵コンテが発見されました。
アニメ化の話があったものの頓挫しているうちに彼が亡くなった、という経緯もあり、
手塚氏としては一度はその気になって描き始めた、ということなのでしょうか。
それによると、
「時よ止まれ、お前は美しい」と言う場面があるそうです。
「ファウスト」という作品は、人間にとって「人生の満足」とは何かを描いた作品。
現代人にとって、
生きるとは、生きていると実感できることとは…?
完成した「ネオ・ファウスト」を読んでみたかったな、と思います。

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