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Kバレエ「真夏の夜の夢/ピーターラビットと仲間たち」@オーチャードホール

私は震災前の10日のチケットを持っていたので、
見ることができました。
「真夏の夜の夢」のパックを熊川哲也が日本で踊るのは、
1992年以来のことです。
なんと、ほぼ20年前、ということですね。
私は熊川哲也が舞台で大きな怪我をしてからというもの、
そろそろ40歳を迎えようという年齢もあって
彼のダンサーとしてのこれからを考えたときに、
そしてKバレエのこれからも視野に入れれば、
こういう配役がいいのでは、と思っていた部分がありました。
彼がかつてロイヤルバレエでソリストとして
主役ではないけれど大きなインパクトを残した役、
たとえばこの「真夏の夜の夢」のパックとか、
「ラ・バヤデール」のブロンズ・アイドルとか、
そういう役で舞台に立って
主役はほかの若手に譲る、という形です。
全舞台かけまわるというのは、だんだん難しくなるかな、と。
それなら爆発的な踊りをどこかでバンッと見せてくれたら
舞台も引き締まるし、
熊川哲也の踊りを見たい、という人も満足するし、
彼が主役を踊り続けてしまうことで若手の出番が少なくなることもない。
熊川主演の日とそれ以外の日で金額を変えることもない。
そんなふうに考えていました。
だから今回は、そんな思いが届いたか、という感じで、
とても楽しみにしていました。
でも舞台を見てみて思った。
やっぱり熊川哲也というダンサーは、センターに立つべくして生まれたんだ、と。
貫禄が違う。
オーラが違う。
それなのに「主役」を引き立てるために、
熊川が自らのオーラを消そうとする。
だから、
舞台上にこの人、あの人、といった突き抜けるようなエネルギーが感じられず、
ぼんやりとした印象を受けてしまいます。
彼がソリストとしてパックやブロンズ・アイドルで光ったのは、
若さや上昇志向や、やっと手に入れた役への挑戦や、
そういったもろもろのものがあってこそだったのではないでしょうか。
主役が誰であろうと、相手役とのバランスがどうであろうと、
「オレがオレが」の精神が、
一部の人々にはヒンシュクものだったかもしれないけれど、
ますますの輝きや躍動感を加えていたのでしょう。
今や芸術監督も兼務しステージ全体をコントロールする熊川は、
舞台上の役を慎重に選ばなければならないのだ、と痛感しました。
「ロミオとジュリエット」のマキューシオとか
「ドン・キホーテ」のエスカミリオとか
こうした出演のしかたは今までもありました。
「ラ・バヤデール」なら僧侶とか、
踊る踊らないを別として、主役と対峙する役、
どっしりと構えた役でなければおさまりがつかないんでしょうね。
これは歌舞伎でいう「ニン」にあたります。
團十郎とか吉右衛門とか菊五郎とかに、
ちょっと出のチンピラみたいな役では違和感が生じてしまうのです。
テレビドラマでもあるでしょ。
地味な清掃員とか下っ端警察官とかに大物俳優があてられてる時に感じる違和感。
逆に「きっとこの人が犯人なんだ!」と思ってしまいますよね。
そうじゃなきゃおかしい、という、あの感覚が「ニン」に近いのかも。
(「ニン」についてはもっといろいろあるけどここでは割愛)
同じようなことをサッカーでも考えたことがありました。
1994年のW杯アメリカ大会に、惜しくも出場できなかったカズこと三浦知良。
1998年のフランス大会では、メンバーから最終で脱落してしまった。
彼のカリスマ性や経験は、絶対に代表チームのプラスになるのに、と
カズを応援したい気持ちがわく反面、
常に現役、常にフォワードにこだわるカズに、
「ポジションにこだわらなければもっと出場機会も増え、
きっと違った形でカズのよさが出るのでは?」
と思うことが、それから後に何度かありました。
しかし。
カズは正しかった、と私は思った。
年齢や体力や、そんな理由でフォワードがフォワードをやめることはできない。
カズはフォワードで輝く人であり、
その証拠に彼はJリーグでの最年長得点記録を塗り替え続け、
先日の慈善試合でもシュートを決めた。
ゴン中山も然り。
彼らは、自らの輝く場所を知っているのです。
話題をバレエに戻せば。
ロイヤル時代、熊川より年上のスチュワート・キャシディが
Kバレエにあって、常に熊川をサポートする位置にいてくれたのは、
Kにとって、そして熊川にとって、まことに幸いなことです。
それは、
キャシディが常に相手役にそのサポートを賞賛されるように、
周りと合わせる才能に溢れ、
そのエレガントさこそキャシディの輝きだからでもあります。
彼の得意とする役柄が、熊川のそれと微妙にずれていたこともメリットになった。
同じ舞台に立ちながら、いずれも長所が際立つ、というよさがあった。
だとしても、
それだけキャシディの守備範囲は広く、懐が深い、ともいえます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、前置きがかなり長くなりましたが、
「真夏の夜の夢」
私が見たときの主役・オベロンは遅沢佑介。
「オベロン」という、精霊のなかの王様、という存在感には乏しかった。
というより、
まだ「真夏の夜の夢」というバレエが体にしみこんでいなかった。
「人間ではない」ことを意識して、着地に決して音を立てなかったりという
努力は買う。
しかし、いかんせん小さくまとまりすぎて、勢いがなかった。
難しい演目なのだな、と感じました。
それは、遅沢だけでなく、ほかのダンサーにも言えることでした。
女王の貫禄が出ないと、ただのやきもちやきのわがままにしか見えないのが
タイターニア。
パ・ド・ドゥだけを美しく繊細に踊ってしまうと
タイターニアというキャラクターが分裂してしまう。
タイターニア役の松岡梨絵もかなり丁寧に踊ってはいたけれど、
慎重な分、躍動感に欠けた。
人間側の三角関係も、
精霊側とのコントラストを出そうとしすぎてドタバタを強調したせいか、
底の浅いキャラになってしまい、魅力的に感じませんでした。
「真夏の夜の夢」はシェイクスピアの喜劇であり、
2組のばかげた三角関係が
惚れ薬の相手を間違ってしまうパックの失態によって、
ますますドタバタになってしまう騒動。
これが、深い深い森の中で繰り広げられるという話です。
王族の威厳があり、精霊の空気があり、結婚式の祝祭である一方で、
痴話げんかであり、とりかえばや物語であり、
ロバに惚れたりするおバカな話でもある。
これをある場面では観客を笑わせ、
ある場面では神聖な気持ちにさせるというのは本当に難しい。
シェイクスピアに親しみ、ストーリーや相関図を知っていても難しいのだから、
「真夏の夜の夢」初体験の人に、バレエのみ、つまりセリフなしで届けるのは
至難の業であることは間違いなしです。
ただ、この難曲に挑戦したことには意義があると思います。
「挑戦」は大切なこと。
その意味では
「小さくまとまって」いないで、勝負に出たKバレエには拍手を送りたい。
だから
私が見た公演の後のステージの出来栄えや
他のキャストでの舞台の様子が知りたいと思います。
震災による中止や、追加公演など、
キャストやスタッフに動揺も大きかったでしょうが、
その後の舞台でダンサーたちが徐々に成長し、成功していることを祈るばかりです。

「ピーターラビットと仲間たち」
のほうは、
再演ですが、ダンサーの入れ替えが激しかったこともあり、
キャストがガラっと変わっています。
結果だけを言えば、私は初演のほうが好みだった。
もっと動物たちの輪郭、動物なのに人間臭い所作が
くっきりと浮かび上がってパンチがあったと思う。
役をつかむ、ということは、本当に難しいもの、とここでも痛感。
Kバレエの魅力とは、
お行儀のよい優等生バレエではなく、
額縁を意識しながら、その額縁をちょっとはみ出す勇気と勢いではないか。
私が熊川哲也という人のバレエを
それもクラシックを踊る彼のバレエを好きになったのは、
まさにそこなので、余計そう感じるのかもしれませんが。
Kバレエの公演は次の「ロミオとジュリエット」が
もう5月に迫っています。
私はこの前見逃したロベルタ・マルケスとの組み合わせ。
楽しみです。

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