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「20ミリシーベルト」の壁、崩れる

学校の校庭で遊べる基準値は
(といっただけで、放射能の話だとわかる世の中が哀しい)
年間20ミリシーベルトという法外な基準だったのですが、
学校生活で児童が浴びる上限を年間1ミリシーベルトを目標とする、となりました。
今回の原発事故と放射能汚染について
さまざま言いたいこと、疑問なこと、やめてほしいことは多いなか、
この「学校3.8マイクロシーベルト/時」だけは絶対に受け入れられないほど突出していました。
だからこれはどうしても撤回してほしく、署名もしました。
今度出された「1ミリシーベルト以下」の内容は
じっくり比べると、ちょっとすりかえ的な部分があり、
必ずしも「20ミリシーベルト」を完全否定したものではありません。
でもとにかく、
様々な人たちの運動の力で、
「20ミリシーベルトまでは安全だから何もしなくていい」という牙城は崩れた。
この意義は、本当に大きいと思います。
国が「何もしなくても大丈夫」と言っていた時期に、
自腹で校庭の表土をけずりとる決断をした自治体や
独自に線量を計って実態を把握しようとしたり、
3.8マイクロシーベルト/時は下回っていても「安全だと言い切れない」として
校庭での活動を自粛してきた先生方、
その先見の明と決断力、覚悟のありようをありがたく、尊く思います。
逆に
これまで保護者達が
内部被曝も含めて「子どもにはできるだけ浴びさせないようにしたい」と
必死で学校や自治体に働きかけても
「国が言っているのだから今のままで安全です」を繰り返し、何もしなかった人達は、
来週からどういう態度に出るのでしょうか。
校庭での遊び方、雨の日の運動のしかた、プールについて、
給食について、水筒持込について、線量の計測について・・・・・・。
保護者たちは、そして子供達は、それをどんなふうに見るのでしょうね。
公務員ですから、国の決定には従わざるを得ない。
それはわかります。
でも、同じ従うにしたって、そのなかで、どうやったら子どもを守れるか、
どうやったら保護者の不安に寄り添えるか、
それを真剣に考え、苦しみ、迷ってくれた先生に出会えた人は、幸せでした。
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戦後、GHQの占領政策のなか、
新しい教科書に以降するまでの間、
日本はそれまで使っていた教科書にある
反民主主義的な記述は
子供達に墨で塗りつぶさせました。
学校ではそれまで
「お国のために死になさい」
「日本は神の国。絶対に負けない」
「鬼畜米英」
などと教えていましたが、
敗戦を機に同じ学校で同じ教師が同じ口で、
「日本が悪かったから負けた」
「竹槍で軍事教練をしたり、風船爆弾作ったりなど愚の骨頂」
「最初から勝てるはずのない戦争だった」
などといい始めました。
これによって当時思春期にあった子どもたちの中には、
「大人なんか、信用できない」と思った人が
多かったといいます。
先生のなかには、
戦時中「お国のために死になさい」と生徒に言ってきた責任をとって、
二度と教壇に立たなかった先生もいます。
「これからは、絶対に教え子を戦場に送らない」と決意して
教師を続けた先生もいます。
でも
教える中身が真反対でも頓着せず
言われたことを言われたとおりに教える先生もまた、
多かったと思います。
「国が言っているから」の一点張りで保護者の要求を拒否してきた人たち。
あなたは「20ミリシーベルト」や「3.8マイクロシーベルト」を墨で塗るのかしら。
墨で塗って、なかったことにするのかもしれない。
そして「国が言ってきたから」今度は1ミリシーベルト以下が正しいと言うのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
公務員だけを責めることはできません。
私たちだって、同じ立場に立たされたとき、どこまでできるでしょうか。
体制や流れに逆らって、自分の立場を表明することを
私たちは「空気の読めないヤツ=KY」などといって、バカにしたりする世間で生きています。
自分の意見にこだわる人は「めんどくさい」し「うるさい」し、「協調性がない」とみなされる。
「出る杭は打たれる」ということわざを持った国です。
「村八分」や「シカト」が横行、
だから「自粛」が流行ります。
「官邸の空気」を読んで、注水だって中断しろって指示を出しちゃうような。
「正しいことを言う」よりも、「波風を立てない」が優先する社会です。
自分が矢面に立たされ、突き上げを食うことをこわがって生きる。
誰かの後についていけば、責任を取らされることはない。
そんな気持ちで日々を送っている人たちが、いかに多いことか。
「責任逃れ」は、政治家の世界だけの専売特許ではありません。
でも今度のことで、私たちは学んだはず。
大きな犠牲を払って学んだはず。
国は「はたらきかけないと、振り向いてくれない」ことを。
そして疑問に思ったはず。
「私たちの国は、民主主義の国じゃなかったの?」
思い出そう。
私たちは、民主主義の国に住んでいる。
一人ひとりが意見を言う自由がある。
その権利は、守られている。
意見を表明したことで、生きにくくなるのはおかしい。
そして、大切なこと。
一人ひとりが意見を持つのは、権利であると同時に義務でもある。
だって、私たちは「主権者」だからね。
戦前の憲法では、いわゆる国民は「臣民」であり、主権者は「天皇」だった。
でも今は、国民が主権を持っている。
私たちがしっかりしなければ、国はまわっていかない。
権利だけじゃなくて、義務もある。
「国が言ったから」と追随しているだけでは、義務は果たしていない。
考えよう、自分の頭で。
流されてもいい、うまくいかなくてもいい、
何もできなくてもいい、
でも
「自分はどう考えるのか」
それを一生懸命考えよう。
つたなくてもいいから、口に出そう。
そして人が一生懸命考えたことに
聴く耳を持とう。
「私」も主権者、「あなた」も主権者、なのだから。
何度でも言う。
今は日本人全員の叡知を集めるとき。
そうでなければ、乗り越えられない危機が、今、ここにある。

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