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「日本発見シリーズ東京都」スタッフを迎えてのトーク~その2~

様々な監督のもと、この「日本発見シリーズ」を映してきたカメラマンの奥村佑治氏。
「当時はカメラマンになりたてでしたが、岩波は若い人間を起用してくれました。
 今とまったく違うのは、
 100フィートテープといって、1巻で3分しか撮れないテープを使っていたことです。
(つまり3分以上のカットは撮れない)
 この3分に一つの対象をしっかり収める、ということが非常に重要で、
 そのことをたたきこまれました」
バンバンとって、後で編集すればいいや、というわけにはいかなかったんですよね。
スタッフは監督、マイクを持って録音もする助監督、カメラ、そしてカメラ助手の
4人ですべてをやっていたそうです。
「私は、記録映画の根本というのは、発見と思索だと思うんだ」と土本監督。
「ある意味、私小説のように、エッセイを書くように、自分の思考を記録する。
 それが記録映画というものなのに、
 PR映画というのはスポンサーの目的が先行するからね。
 このシリーズは、いわゆるPR映画なんだけれども、シナリオが大ざっぱで、
 この県なら名所のここと、名物のこれは絶対撮って、くらいしか指示がなかった。
 だから比較的自由だったし、
 ロケに行った自分たちが見たことがすべてなので、
 そこで面白いと思ったもので作ることができたね」
でも、お蔵になった。
「東京都」だけでなく、「山梨県」でも、
ラストに自衛隊の演習風景などを入れて、物議をかもした、ということです。
実は土本監督、
国鉄のPR映画「ある機関助士」、交通局のPR映画「路上」、そしてこの「東京都」と、
ある時期作っても作ってもそれが「お蔵」になってしまうPR映画監督でもありました。
「PR映画量産の時代だった。それをうまく撮って稼いでくれ、という思惑を、
 ビシビシ感じたね。
 当時、青の会という、まあ飲みながら映画について論じるような集まりがあって、
 カメラマンとか監督とか30人くらいいたんだが、そこで語らう中で、
 映画作家らしい映画を作らなくてはならない、という気持ちを再認識していた」
つまり、
PR映画と記録映画というのは、その性質が正反対ともいえるわけで。
土本監督が水俣問題などを取り上げ、自主映画製作を始めていくのには、
そういう経緯もあったんですね。
「東京都」がお蔵になったとき、
監督は「やっぱりお蔵になったかー」と思ったといいます。
「わかってて作るっていうんじゃ、いけないんですがね」
自分の思ったものを作ることへの誇りは大切ですが、
「おくら」は作り手にとって、ものすごいダメージです。
後日読んだ土本監督の講話によると、
青の会では
「どうやってお蔵にならないPR映画を作り、かつ自分のいいたいことをそこに含めるか」を
真剣に話し合ったことがでてきます。
「フリーは絶対仕事を断ってはならない」
そして、
「いかなる状況下でも、妥協の中に、自分らしさを最大限に表現して仕事を仕上げる」という信念を、
フリーランスライターをしている私は貴重なアドバイスとして読みました。
もう一つ、会場では
先ごろ亡くなった佐藤真監督について、お話がありました。
「最近知ったんだが、彼は記録映画を撮ろうと思い立った時、
 各務さんのプロダクションで2年間張り付いて、修行していたらしい。
 各務さんのプロダクションは、それほど大きいところではないのに、
 彼のもとで学ぼうとした、佐藤くんの覚悟がすばらしい。
 このごろは、基礎的な勉強をしないまま作品を作っている人が多くなった。
 そういう人は、自分の成功作を分析する力がついていない。
 それでは自作を乗り越えられないから、次の作品につながらないんだ」
「各務さんは、自分のことをしゃべらない人だから」と言葉を添えながら
さりげなく各務さんを讃えていらっしゃいました。
―自分の成功作を分析する力がなくては、次につながらない。
 その力は、基礎的な勉強や訓練でしか培われない。―
これも含蓄の深い言葉で、心の奥にまでズンと響きました。
明日は「今、東京を撮るとしたら何を撮りたいか」について
記録映画の製作者として、彼らが今何に関心があるかを報告します。

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