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「プラダを着た悪魔」


   プラダを着た悪魔 特別編 / メリル・ストリープ
デートの最中、仕事の電話がかかってくる。
恋人の誕生バーティーに「絶対行くから」といったのに、仕事を抜けられない。
子どもの発表会に行くはずが、出張先からの飛行機が飛ばない!
こういうシチュエーションは、今までのドラマなら男のエピソードである。
「だって仕事だから、しかたないじゃないか!」
すると、妻は言う。
「仕事と家庭と、(あるいは私と)、どっちが大切なの?」
ところが、
この映画では、こうした「災難」がすべて女に降りかかる。
バースデー・パーティをすっぽかされてスネるのは、
男の方である。
「しかたなかったって君はいつも言うけど、君がそれを選んでいるんだよ。
 認めろよ」
憧れのジャーナリストを紹介してくれる、というオイシイ話も蹴って
がんばって駆けつけた自分の恋心を説明しようとすると、携帯がプルルル!
…「鬼」上司からの「すぐ来い」である。
もちろん、男は肩をすくめ、ため息吐き捨てて女を置いて去っていく。
田村正和主演のドラマかなんかで、これの逆転シーン、見たな~、と思う。
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メリル・ストリープが「101」のクルエラみたいな「悪魔」の顔で登場する
「プラダを着た悪魔」。
予告編を見た時は、
「またまた、田舎出のダサいおネエちゃんがキレイになっていくシンデレラ物語ね~」
と、タカをくくっていたが、
あまりに評判がいいので、一度見ておかなくては…と拝見してみると、
「女が責任ある仕事、一流の仕事をしようとすると、何が起きるか?」というテーマの映画だった。
ミランダ(メリル・ストリープ)が「いい」上司ではないにしろ、
「できる」上司であることはたしか。
どんな上司の下でも期待以上の働きをして認められ、昇格し、あるいは転職の武器とする。
こんなのは、男の社会では今さらいうまでもない話だった。
しかし、それが「女」だと…。
「私生活がグチャグチャになるということは、昇格の時期を迎えたということ」
恋人との関係に悩む主人公アンドレア(アン・ハサウェイ)にかけられた先輩のセリフは、
心に深く残った。
常にカッコいい女を演じるメリル・ストリープがスッピンで臨んだ1シーンに、
「戦う女」の悩みが集約されていて映画の奥行きを広げている。
惜しむらくは、ラストが平板。
これも男女逆転版を、どこかのラブコメで見たような…。
そうなってしまったのは、
女編集長と自分との、どこが似ていてどこが違うか、
どこがアンドレアにとっての「分岐点」だったのか、
そのあたりがきちんと追いきれていないためではないか。
「仕事ガリガリ生活」と「私生活最優先生活」の二者択一では、
これからの女性の(そして男性の)ワーク・ライフ・バランスは語れないと思うのだが。
やはりベストセラーになったという原作(未読)と、後半の描かれ方がかなり異なるらしく、
映画ならではの「見せ方」を優先した結果なのかもしれない。
それでも、よくできた話だと思う。
とにかく、大学出たてで自分のやりたいことと与えられた仕事にギャップがあって、
「何でこんなことしてるの??」って思っている人や、
ようやく自分らしい仕事をみつけ、
「こんなに誇りをもって仕事に賭けているのに、どうして周りはわかってくれないの?」
と思っている女性には、
ものすごーく共感できるお話です。
靴、バッグ、インナーなどすばらしいファッションアイテムを
ガンガンカット・インさせる導入部分も鮮やか。
「ファッションは芸術より力がある。なぜなら毎日身につけるから」という
もう一つのテーマを最初に見せつけられます。

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