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放送ライブラリーで若かりし頃の木村功に会う

横浜にある放送ライブラリーでは、
NHK・民放を問わず、
これまでの様々なテレビ番組やテレビCMなどがブースで見られる。
それも無料で!
テレビは最初全部生放送だったし、
テープが高価だったため使いまわすので撮っては消す、という繰り返し。
だから全てが残っているわけではないのだけれど、
幸いにもなんらかの形で残っていたものは、保存されている。
私が見たのは「アイウエオ」
1967年から1969年まで毎週土曜日午後6時から放送されていた
この子ども向けの本格ドラマが
いかに私という人間に影響を及ぼしたかについては
前のレビューに詳しく書いた。
みんなが「ジュリー!」とか「ショーケン」とか
「ヒロミ」とか「ヒデキ」とかに夢中だったときも、
私の一番好きな芸能人は、木村功。
ていうか、江藤重蔵。
熊川哲也に出会うまで、私の王子様は亡くなった後でさえ木村功でした。
そのくらいインパクトを与えた江藤重蔵の
「アイウエオ」第一回、というのが
放送ライブラリーに保存されていました。
話は彰義隊が上野の山にこもろうとする前夜です。
本格時代劇の様相を呈するこの第一回。
江藤重蔵、市川雷蔵ばりにカッコイイ侍姿!
もう、時空を超えて二度惚れします!
見てみてわかったこと。
私はこの記念すべき第一回は見ていなかった。
私が見たとき、時代はすでに明治で、
江藤一家はすでに北海道におり、そこで寺子屋を開いていたもの。
最初のシーンは、江藤の家の庭先で騒動があり、
誰かが殺される、というもの。
家の中で息を潜めて外の騒動が収まるのを待つ江藤家の人々。
こんな本格的な時代劇っぽいものだという記憶がないもの。
それに、知らなかったことがたくさんあった。
江藤家は徳川家直参だったのね。
武士だったっていうことは知っていたけど、
超エリートからバリバリ負け組になった人だったっていうことはわからなかった。
まあ、
私は当時9歳、小学校4年生です。
薩長かそうでないかで武士といってもいろいろあった、とか、
薩長の人たちだって全員がいい思いしたわけじゃないとか、
そういうことはまだわかっていなかったから
もしかしたら「聞いていたけどわからなかった」のかもしれません。
前も書きましたが、
これは明治100年を記念するプロジェクトの一つとして制作されました。
明治維新とその後の日本を描きながら、
実は太平洋戦争に負けた日本とその後を描こうとしている。
そのことは、
第一回を見ると、ものすごくよくわかる。
上野の山にこもろうとする彰義隊のメンバー2人が、重蔵を誘いにくる。
重蔵は朋輩に「卑怯者」「腰抜け」呼ばわりされながらも、
合流を固く断る。
「大勢は決まっている。今さら上野の山で戦ってもこの流れは変わらない」
「上野で戦えば、江戸の町が火の海になり、100万市民が路頭に迷う」
これは
すでに敗色濃厚だった昭和20年、
「一億玉砕」「本土決戦」を叫んでいた者に対しての言葉でもあろう。
重蔵の長子・彦一郎(彼が大作「アイウエオ」の主人公)が通う
昌平坂の学問所もしばらく自宅学習となり、先生が
「大政奉還をして徳川は息をひそめている世の中で、
 これからどうなるかはわからないが、しっかり勉強だけはしなさい。
 君たちこそが国の宝である」と言うところは、
激動の時代、先が読めない時代にあって、
次世代を担う子どもたちとその教育に、
どれだけ大人たちが未来を託したかが見て取れる。 
重蔵説得を諦め、上野に向かった二人を重蔵は追いかけることに決める。
合流するのではなく、「止める」ために。
「どちらにも与しない」という中立的な立場をとってきた自分を捨て、
「戦いをやめさせる」ために行動することを決意して。
そこには、
自分の家の庭先で両者が斬り合いに及んだあの冒頭のシーンで
「家の中に入ってきたら斬る、しかしそうでなければ関わらない」とした
自分への反省があったのです。
「自分の身に火の粉が降りかからないうちは、だんまりを決め込む」は、
昭和初期、だんだんと空気が不穏になってきて、テロが横行、
当局の締め付けも強くなり、言論の自由がどんどん狭まり、という時代に
インテリたちがとった態度でもありました。
薩長軍が上野の山の四方に大砲を配置している、という噂を耳にし、
一瞬逡巡する様子を見せる重蔵だが、彼は行こうとする。
「自分だけが助かればいい」では世の中改善されない。
そこを、
このドラマは第一回で重蔵に悲壮な決意をさせて終わってしまいます。
「つづく」であります。
そして、このドラマで残っているのは、この1回分のみ。
ひぇ~! ヘビの生殺し~!
上野の山で彼がどうなったのか、私はまったく覚えがない。
なんせ私の40年以上昔の記憶は、鮮明ではあるけれど、「北海道から」だから。
死も覚悟し、いまだ10歳の長子・彦一郎に
「父にもしものことがあったらお前が江藤家の当主だ」と言い置いた重蔵だが、
この先北海道で行きぬくのだから、上野で死にはしない。
還ってはくる。
でも、どんなふうに還ってきたのだろうか。
「(彰義隊の中の)1人でも、引き戻してくる」という希望はかなえられたのか。
戦いに巻き込まれはしなかったのか。
彰義隊に入ったと誤解されてしまったのか。
捕らえられたのか? 怪我はなかったのか?
その後、
遠く北海道に渡ったのは、どういう決意をしたためか。
それとも、渡らざるをえない状況になり、逃げるように行っただけなのか。
気丈な武士の妻である彦一郎の母は、どうなったのか。
うーん、
ナゾがますます深くなってしまった!!!
北海道に渡る前の江藤重蔵の消息をご存知の方、
いらしたらぜひおしえてくださいませ!

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