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「能と文楽」@観世能楽堂~鎮魂と復興の祈りをこめて~

「能の原点は災害の後の勧進能」
「能とは鎮魂の芸術」
観世流家元である観世清河寿(清和改メ)さんが
以前お話をうかがったときにおっしゃっていた言葉です。
今日は3月11日。
あれから3年経ちました。
観世能楽堂で行われた「能と文楽」の夕べは、
単に能と文楽がともに行われるだけではなく、
「キリシタン能」と「ゴスペル・イン・文楽」という
能、文楽、キリスト教、のコラボレーションでした。
戦国時代、キリシタン大名の下よく行われていたという
「キリシタン能」は、
キリスト教が禁じられたことによりまったく姿を消し、
どういうものだったかわかっていないといいます。
小学生のときに「キリシタン能」を教科書で知った家元は、
いつかこれを復活したいと思っていたそうで、
林望さんに創作能を委嘱したとのこと。
今回は再演にあたり、狂言をはさんで前シテ、後ジテと
形も本格的にしての上演です。
「聖パウロの回心」。
弾圧側だったパウロ(サウロ)の物語です。
いやー、よくできてた!
というか、
その迫力に圧倒されました。
けっこう間際にチケットをとったのですが、
上手隅とはいえ前から2番目の席というラッキーさもあり。
サウロ役の家元もですが、
ユダヤ教大祭司役の森常好の第一声の貫禄!
また、ダマスコの里人として狂言への橋渡しから登場するのは
野村萬斎。
お囃子がまた、素晴らしく。
今までも、能を一度も観たことがなかったわけではないですが、
今回はよかったなー。
はまりそうです。
文楽は、主遣い(おもづかい)も含め、全員黒衣で臨みました。
能楽堂での上演ということで、
足元まで全部見えるし、いろいろ勝手が違います。
いつものように主遣いだけゲタをはいて
背丈を調整することもできないので、
足遣いの人は腰をいつも以上にかがめて大変。
文楽のほうは「イエスキリストの生涯」。
いわゆる「キリスト物語」で、
マリア受胎と誕生~奇跡~裏切り~磔刑~復活の五段。
クリスマスに教会で見る宗教劇です。
前説で高原剛一郎さんが
「キリシタンはキリストの教えを
自分たちになじみのある芸能を通じて受け取った」というのが
本当によくわかりました。
(高原さんの関西弁の前説が、「漫談」でもあり「説教」でもあり、
これまた一つの「芸能」でありました!)
特にゴルゴダの丘、十字架を背負って歩いてくるところからは
人形も義太夫も太棹も、すべてに気迫がみなぎって背筋が寒くなるほど!
(キリストはかしらが検非違使ではないかと。
 文七のような感じもするが
 十字架を背負うキリストは、まさに碇知盛だから!
 お囃子の迫力も、そうだから!)
全身黒で顔が見えませんが、
キリストの主遣いは、桐竹勘十郎さんでした。
…というわけで、とても有意義な夕べでしたが、
20分休憩があったとはいえ3時間以上、内容もハードで
途中ちょっぴり意識が飛んだ時間もありました。
文楽のほうの企画制作、そしてメインで浄瑠璃を語ったのは
豊竹英大夫。
英大夫が幼い娘さんを医療過誤で亡くされたことを
今回初めて知りました。
出口のない苦しみの日々に出会ったキリストの教え。
この「ゴスペル・イン・文楽」は
彼の受難から生まれた作品なのです。
太棹をバックに聞こえる「ハレルヤ~、ハレルヤ~」は、
序盤はちょっと奇異に感じましたが
キリスト復活の最終局面でまた聞こえてきた「ハレルヤ~」の
なんと素晴らしいこと!
私はキリスト者ではありませんが、
東日本大震災のあったこの日、
さまざまな事情で愛する人を失くされた方々の悲しみ、苦しみが
洗い流されていくような浄瑠璃でありました。
芸術の力を、また、一つ、体感した日となりました。
合掌。

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