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七月大歌舞伎・昼の部「五重塔」

歌舞伎は3日の稽古で合わせる、と聞いていた。
だから初日というのは、
けっこう危ういことがいろいろ起こるらしい。
今回は「五重塔」でしょっぱなに口を開く
感応寺の用人為右衛門役の寿猿が
まだセリフが入っていないのか、思い出しつつ進む感じ。
その間がなんともおぼつかなげで、
いつ止まってしまうかとハラハラし通しだった。
その「五重塔」とは、
一生に一度、あるかないかの五重塔建立を
どうしても譲ることのできない大工の十兵衛(勘太郎)と
十兵衛の腕が上と知りつつ棟梁としての器量は自分が上という自負もあり、
どうにか二人で成し遂げようとする源太郎(獅堂)との
ライバルだからこその対立と共感をテーマにした物語。
26年ぶりの上演を若手二人で、という試みで、
感情の機微の表現が上達した勘太郎、
以前よりセリフの切れがよくなり存在感も増した獅堂が
何とか場を持たせるものの、
人物造形が類型的で話に深みが出ない。
十兵衛は一途もここまできたらただのワガママ、
源太郎は自分の中の本音と建前をうまくコントロールできずにいる
瞬間湯沸かし器、
みたいにしか思えない。
そこで、いつどこで二人が心底和解し、
最後に「十兵衛が作り、源太郎が成した」を笑顔で飲み込むかに
まったく説得力がないのだ。
ましてや、感応寺上人が最後に「二組ともよい夫婦」と褒めるのだが、
いったいどこが?と思ってしまう。
十兵衛の妻お浪(春猿)はまだ
最初は所帯の金のまわりや近所・親方への気遣いばかり気にしていたのが
最後は夫の職人としての意地と誇りを理解していく過程が描かれているが、
源太郎の妻お吉(吉弥)は最後の顔合わせ以外は一場面にしか登場せず、
夫の恥を自分の恥と悔しがるだけで、
どう源太郎を支えたかは見えてこない。
四幕を休憩なしで突っ走ったのも
舞台転換を多く思わせてソンをしていないか。
この「五重塔」、
島田正吾の十兵衛、辰巳柳太郎の源太の放送劇が始まりで、
その配役のまま昭和31年に新国劇公演がかかったという。
そう聞くと、
その二人で見たかった、と思ってしまう。
「一本刀土俵入」のときも思ったが、
勘太郎は、「のっそり」と「ぼんやり」を取り違えて役をつくるきらいがある。
十兵衛という人は、
仕事が丁寧すぎる寡黙で頑固な職人気質。
頭のなかではいろいろ考えているのだが、
口べたでそれを人に伝えるのがうまくないという感じだろう。
それが
ともすれば「ちょっと足りない」笑いもの、みたいなのはどうなんだろう。
わからない者にはただの「のっそり」にしか見えなくても、
勘どころには天才肌めいた光るものを織り込んで、
少なくとも観客には、
「こいつ、ただものじゃない!」と思わせてほしい。
源太郎が親切心で差し出した書付けを着き返すところも、
字があまり読めない、というのを隠したいというコンプレックスだったり、
もっととんがっていいように思ったが
実際は単に卑屈になるばかりで感情移入がしにくい。
春猿との夫婦芝居のところなどは、とても丁寧で
場面によってはセリフで泣かすだけの力をもっているだけに、
非常に残念に思った。
逆に獅堂には棟梁らしい貫禄があってよし。
ただ、
どうしてそこまで十兵衛をたてようとするか、そこに説得力がない。
自分の職人としてのプライドは、どう処理したのか。
もっと複雑な胸のうちがセリフの揺れなどとなって出て行けばよかった。
また、
嵐の中びくともしない五重塔の前で、二人が抱き合うシーンは、
青春ドラマめいていて、私はドンビキだった。
江戸の職人は、アメフトの選手みたいな抱擁はしないんじゃないかなー。
いろいろ考えさせられました。
この二人が、後年になってまた十兵衛と源太を演じる時があれば、
ぜひそれを見てみたいと思います。
というより、
この七月の公演を経験するなかで、
きっと何かをつかむんでしょうね。
もう一度、楽日が近づいたころに見てみたいとも思いました。
期待してます。

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