歌舞伎が下敷きだとか、南米だからガルシア・マルケスっぽいとか、
そういう先入観をすべてとっぱらって、
かの不思議ワールドに素直に没入しよう。
そこは、
いうなれば「天井桟敷の人々」のような世界。
天下の大どろぼう通りがあって、
訳知りの墓守男女が人々の運命の糸をぐるぐると操り、
宗教の偽善は見破られ、
処女の純潔も仮面でしかなく、
見世物小屋では人がマングースと化して蛇に噛み付き、
ある人は恨みゆえに人生を棒に振り、
ある人はすがる愛を間違え、
それが愛なのか性なのか、生なのか死なのか、
砂漠の中に愛の蜃気楼をみつけては逃げ水に絶望し、
めぐる因果の糸車に憎しみよりも縁を感じ、
そして音楽隊がすべてを水に流して歩いてゆく。
貧乏と死の縁で生きようとする、
生きようとすると死が覆いかぶさる、
泥まみれだけど美しい、人間賛歌の物語。
古田新太と秋山菜津子のカップルが異彩を放つ。
白井晃の思い込みの強さに現代性を感じる。
笹野嵩史の冷徹な笑いとトランペットの音色が強烈。
勘三郎の大人のエロスに背筋が震える。
惜しむらくは、
大竹しのぶが主人公の桜姫より
笹野嵩史とともに扮した墓守の印象のほうが強かったこと。
それだけ、
「桜姫」というキャラクターは複雑怪奇ということか。
一筋縄では観客を納得させられない。
そう、
ガランスのような吸い込まれ食い尽くされる官能美が
大竹には足りなかったかもしれない。
「桜姫」は現代版と歌舞伎版の競演。
七月には歌舞伎版の「桜姫」公演が続く。
桜姫は七之助だ。
鶴屋南北の世界を、堪能したい。
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