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「私のなかの悪魔」@あうるすぽっと

蜷川傘下から離れた高橋洋が、久しぶりに舞台へ復帰ということで、
観に行ってまいりました。
ストロンドベリの「債鬼」を青山真二が脚色・劇化し演出したもの。
妻=とよた真帆
元夫=佐戸井けん太
夫(画家)=高橋洋
奔放、というか、自由人な妻をめぐり、
「束縛」とは、「嫉妬」とは、「夫婦」とは、をめぐる物語です。
私は高橋洋を観に行ったんだし、
とよた真帆は何回か舞台を見ていて舞台俳優としてとてもすてきだと思っていたけれど、
今回は、佐戸井さんにやられた。
さすが、夢の遊眠社出身。
声も間も動きも、もっとも図抜けて、もっともミステリアスで、そして惹きつけられた。
とよたさんもよかったといえばよかった。
まあ、今回、観劇後に知ったんだけど、青山さんととよたさんって夫婦なのね。
それを知らずに観ていても、
なんていうか、周防監督と草刈民代さん的な主演女優のフィーチャーの仕方で、
お話の流れ的にはこれは要らないんじゃないかっていう感じの演出がちょっとハナについた。
それを抜きにしても、
この「妻」は簡単そうでものすごく難しい役で、
というのも、
ストロンドベリが書いた時代、
こういう「自分の意志を持って」「夫にかしずくことを知らず」「思い通りに」生きる女に
同時代の観客はきっと眉をひそめただろうけれど、
今の時代、こういう女性はある意味「フツー」だから、
それを容認しなかったり、
面と向かっては迎合するくせに陰で悪口まくしたてる男たちがすごくちっちゃく見えるし、
妻のほうも、
「フツー」にやってるふうに見えてしまうので、
その当時の「妻」にあったはずの葛藤やら決意やらが見えにくい。
最後のほうで、かつて「妻」は
「教師である年上の元夫」に「教育」されていたという過去が明らかになるが、
そのことの重要性があっさりスルーされてしまった感があった。
夫が妻を教育する、妻は夫に教育されるべき存在、という部分と
離婚した妻が第二の人生でどんな夫婦関係を得ようとしていたかという部分が
本当はとても大事な「対」になっているはず。
しかし、そこはあまりフィーチャーされなかった。
おそらく、女性の観客は、真帆さん演じる「妻」に感情移入できなかったと思う。
その分、劇としての力強さに欠けてしまったかも。
画家の夫を演じた高橋も、今一つだった。
たしかに今回の3人のバランスから行くと、
ストレートなとよた、緩急自在で陽気な佐戸井にからむには、
夫の役は、この「とらえどころのない」「ふにゃふにゃとした」感じで演じることが
全体のバランスの上ではちょうどいいのかもしれない。
しかし、
「高橋洋という役者を観に来た」私のような観客からすれば、
もっと切れ味の鋭い一瞬を見せてほしかったところである。
はっきり言って、可もなく不可もない演技であった。
3人(あと1人はセリフがない)芝居だから誰が主役ともいえないが、
高橋は佐戸井との掛け合いでは完全に食われていたし、
場面場面で微妙にキャラクターの統一感が崩れ、「夫」の人物像が際立たなかった。
帰り際、ふと「藤原竜也だったらどんなふうに演じたかな」と思ってしまった。
1人思いをめぐらしてぐるぐると負のスパイラルに落ちていってしまう年下の夫、
どこか狂気めいて、躁と鬱、弱気と強気を瞬時に往来するような役どころは、
そのまま藤原竜也が得意とするところ。
最後のどんでん返しを知っても
「え~? じゃ、いったい君はどういう夫だったわけ?」と
かえってモヤモヤが増すばかり。
まあ、これは高橋のせいというより、演出の責任だとは思うんですが。
とにかく、
「テレビや映画で活躍している人はオーラが違う」というところから
演劇だけでなくいろいろな分野で仕事をしたいと思った高橋が、
そこから得たものは何なのか。
今回の舞台からは、答えは得られなかった。
次に期待したい。

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