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「黒蜥蜴」

「黒蜥蜴」は、江戸川乱歩が書いた小説を、三島由紀夫が戯曲化したもの。
美をこよなく愛する女盗賊・黒蜥蜴(美輪明宏)が、
宝石商から大粒のダイヤ「エジプトの星」を盗むために、
まずは宝石商の娘・早苗を誘拐しようと狙いを定め、緑川夫人を名乗って早苗に近づく。
予告状を突きつけられた宝石商は、明智小五郎(高嶋政宏)に身辺警護を依頼。
ここに黒蜥蜴と明智小五郎があいまみえることとなる。
最初は女泥棒と探偵の単なる騙しあいのように見える。
黒蜥蜴は、
自分の正体を見せるでもなく、隠すでもなく、
勝ち誇ったように明智の前で謎かけの会話に興じる。
一方の明智も、
まったく動じるということがない。
彼女のすることはすべてお見通しなのか?というほど自信たっぷり。
かえって明智のほうが黒蜥蜴をおちょくっている感じ。
その上、真実を追究するというよりは、
犯罪の美学を解明することに喜びを感じているような、夢見るそぶりだ。
この「探偵らしからぬ探偵」の大仰さを、
高嶋政宏が好演。
はっきり言って、彼のことはまったくのノーマーク。
こんなに力のある役者さんとは思ってもいなかった。御見それいたしました。
声も朗々として通りがよく、
美輪明宏を向こうにまわして臆することがない。
独特の空気を自分のものにして、舞台中央の役者にふさわしい貫禄があった。
もう一人、脇役ながら光を放っていたのが、黒蜥蜴の手下「青い亀」役の有田麻里。
やはりセリフまわしが非常にシュアで、
喜劇的な場面と緊迫した場面の変容を、一瞬で見事に仕上げ、
何の説明がなくても、「善人」と「悪人」の間を、ホンモノの泥棒のように行き来した。
黒蜥蜴ならずとも、
「お前さんは立派だったわ」「きのうの成功の本当の花形はお前さんです」と言ってあげたい。
今回、初めて心打たれたのは、
黒蜥蜴を恋慕う手下の雨宮潤一の心理描写。
扮する木村彰吾は、高嶋に比べると素人っぽさがあり、
一幕では大した役者じゃないな、と思っていたのだが
後半になって、直情的なその態度が熱情とからまっていく姿には、
やるせない恋心を負った不幸な若者の叫びが伝わってきた。
二幕二場
「ああ、この匂い、あのときを思い出す。僕が一等幸福だったあのとき…」で始まる
公園で死を決意していた自分を拾ってくれた黒蜥蜴に寄せる想いの吐露。
三幕三場、
恋焦がれる黒蜥蜴の眼の中に、
「たった一度でいいから、僕に対する嫉妬の小さな火を燃え立たせ」たいと、
破滅的な行動に出ようとする雨宮。
捕らえられた早苗と雨宮が二人で「贋物の愛」と「本当の愛のよろこび」を語る場面は、
かなわぬ恋の美しさと残酷さで満ち溢れている。
ここに流れる音楽が、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」。
それぞれのすれ違う想いを乗せて、甘美なまでに酔わせてくれた。
明智小五郎というと、
ダンディで理知的で穏やかで、そんな善人のイメージがあるが
これは長くテレビドラマシリーズで
次々と「美女つき難問」を解決してきた、天知茂の明智小五郎。
言い換えれば、江戸川乱歩の明智像だ。
三島由紀夫の「黒蜥蜴」に限っていえば、明智小五郎は、もっとエグイ。
黒蜥蜴を見下し、ねじ伏せ、支配し、
しかし好敵手として愛も感じている、という高飛車な明智を
高嶋はよく体現していたと思う。
美輪は歌うようにセリフを語り、一語一語のトーンの変化が見事。
「一度でもあなたを裏切ったことがありますか?」と詰め寄る雨宮に
「裏切りはしないけど…」の次の「ドジの踏みつづけじゃないの!」の声の違い!
ある時は色香を、ある時は盗賊の頭としての威厳を、ある時は下種な蓮っ葉さを。
格調高く美しいものを愛でているかと思えば、所詮はコソ泥、と思わせる安っぽい仕草も垣間見せ、
とにかく、自由自在。
たまにセリフが聴きづらい時があり、
さすがに美輪さんも年齢には勝てぬか?と思ったりもしたが、
ものすごいパワーで観客を圧倒する場面もあり、まだまだこの舞台は光を放ちそう。
以前は黒蜥蜴を
親分肌の、カリスマ的な美しくて誇り高い女盗賊と思っていたけれど、
今回、女の弱さをつくづく感じた。
明智を失った後、気弱な発言が続くところなど、
美輪自身、魂を抜かれてしまったのかと思うほど、リアルだった。
美輪は語る。
「幕が開いたら三十歳の黒蜥蜴が出てくるわけですけれど、
 私は幕が上がるまえに、三十歳以前の、
 それこそ黒蜥蜴が生れたところから三十歳までを生きてるんです。
 幕が開いたら、
 三十歳の人生の最後のお話が始まって、
 ロウソクの炎が消える寸前の、もうラストのところだけですけど、
 私は…(中略)…三島さんが書いていないところを全部書き込んで、
 神戸で生れて、感化院でスリを覚えて、男は何人知っているというような
 細かいことまで全部抑えている」(パンフレットに収録の座談会より)
劇が始まる前の人物の生涯を考えるというのは、よくある話ではある。しかし、
舞台上の黒蜥蜴は、人生の最後にたった一回、本当の恋をする、
恋に値する男に会う、という話なんだ、ということに
私は感慨を深くした。
運命の人と出会ったことの喜びと絶望とが
「自分らしくある」こととないまぜになって彼女を苦しめる。
幕間を2回入れて3時間半という長帳場、
こうした、緊張に次ぐ緊張をふっとほぐす手ダレの「間合い」も時に演出。
ただ突っ走るだけでなく、時に笑いのスパイスも振りかけて、空気を、時々入れ替えてもくれた。
これは「作られた」演劇なのだ。
役者は役者同士だけでなく、観客を意識して喋っている。
計算しつくされ、寸法を計られ、一分の隙もない入れ子に色とりどりの役者が詰め込まれ、
「はい、これ」と差し出される。
そういう演劇だ。
それを「くさい」と思う人も多いだろう。
しかしこれは、三島の思ったとおりの舞台でもある。
「現代の話でありながら、1920年代のような味を出す」
「そのために歌舞伎の割りゼリフのような技巧も大胆にとり入れ、
 こうした思い切った様式化によって物語の不自然さを救い、
 且つ原作の耽美主義を強調するように」つとめた、と三島は昭和37年に書いている。
眼にもきらびやかな舞台装置、
上等な和服、
次々と衣装替えの行なわれるローブ・デコルテと
あらわな肌を飾り立てる色とりどりの宝石。
「犯罪の着ている着物がわれわれの着物の寸法と同じになった。
 黒蜥蜴にはそれが我慢ならないんだ。
 女がサッカーをやる世の中に、彼女は
 犯罪だけはきらびやかな裳裾を五米(メートル)も引きずっているべきだと信じている」
劇中の、明智のセリフだ。
明智の言葉はもちろん黒蜥蜴のことを指してはいるが、
「犯罪」を「演劇」に代えてもいいかもしれない。
あるいは「芸術」でも、「文化」でも。
三島のいいたいことに、通じはしないだろうか。
三島も、そして美輪も、
作りこむ芸術、掘り下げる芸術、非日常の中の真実を愛する文化人なのである。
「黒蜥蜴」は、東京・京橋のル・テアトル銀座にて、6月1日まで。
以降、全国各地で上演します。
*明日は、戯曲『黒蜥蜴』を収録した本を紹介しながら、
 美輪明宏がこの芝居とどのように向き合っているかについて書きます。

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