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TMA試演会「墨東綺譚」(1)

東宝ミュージカルアカデミー(TMA)というのは、
帝劇その他、東宝系での舞台をめざす人たちにとってあこがれの登竜門。
今年も35人の若者が4期生として日々訓練を重ねている。
(詳しくは、7月23日の日記を参照のこと)
その4期生、4月から始めて半年、三回目の試演会を見た。
7月の演目は元気いっぱいのミュージカルハイライトだったが、
今回は永井荷風の小説を原作に、菊田一夫が脚本を書いた「墨東綺譚」。(*)
歌なし踊りなし、新派の香り漂う作品である。
東宝「ミュージカル」アカデミーで、なんでストレートプレイ?と思ったら、
「芝居ができなくては舞台はもたない」という山田和也氏の考えのもと、
TMAではこうした「演技」「セリフ」の養成に力を入れているのだという。
それにしたって
「墨東綺譚」を選ぶとは……。
今年は永井荷風没後50年ということで、それもあってのセレクトかもしれない。
昭和初期の東京・玉の井。
私娼街で社会の最底辺に生きる女たち。
ボウフラがわく娼家と娼家との間のドブ板の道を
「ラビリンス」と呼んで通いつめる粋人・永井荷風の「断腸亭日乗」をもとに
彼自身が書いた小説「墨東綺譚」が原作だ。
それこそ迷宮の奥に咲く一輪の白百合がごとき娼婦・お雪の純真さと
その外に待っている過酷な現実とのコントラスト。
菊田一夫は「お雪」の背負った数々のイメージを
さまざまな女性たちに一つずつ負わせて分散し、
多角的に「女の幸せ・不幸せ」を描いている。
「戦前」「娼婦」「貧乏」と
今の若者たちにとってなじみのない文化のオンパレード。
和装での所作からして慣れないわけだから大変だ。
演技にリアリティーを持たせるのはたやすいことではない。
しかし、苦労は報われた。
休憩なしの2時間があっという間。
人数の関係で、女性陣の配役は途中で総入れ替えするのだが、
違和感なかった。それだけ登場人物のキャラクターを
キャストが共通に認識していたということだろう。
「春」「夏」「秋」と三班あるなか、私が見たのは10月1日昼の春班。
さきほども書いたが全員が試演するため、
人数の多い女性は、どの班もダブルキャストで前半と後半を分け合って登場する。
俳優のタマゴたちはきっと、
自分がどんなふうに見られているのか、
自分の意図した演技が観客に届いているのか、
とても知りたいのではないだろうか。
ということで、
何日かに分けて、全員の印象を書いていこうと思う。
もちろん「観客」は私一人ではない。
見る人によって、思うところ感じたところは違うだろう。
だから、そのうちの一人、私の感想である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目を引いたのは、勝気な娼婦の幾代を演じた松下亜季と原田美穂。
前半の松下は、
素直になれず誰にでもつっかかるいつもの攻撃的な振る舞いと、
弟に似た客の安田に言い寄られて思わず「かわいい…」と抱きしめる、
そのか細い声や表情にあらわれた純真さとのコントラストが秀逸。
後半の原田は、
満州へ渡ることになり、幸せになるんだと明るく言いながらも、
「私の(強さ)はこけおどし。本当に強いお雪ちゃんはわめいたりしない」と、
しっかり見開いた瞳で懸命に涙をこらえ、笑おうとするところに
これからどうなるのか、という不安と闘っている様子が胸に迫った。
もう一人の娼婦・お絹も印象深い。
能天気な幼さで娼館を明るくさせるが、最後は不治の病に伏せてしまう。
前半の金子ひとみは、
一見「足りなさそう」に見えて実は何もかも見通しているような
底知れなさがのぞき、
出番以外のお絹の人生を感じさせ、役に深みを出していた。
後半の駒沢樹は、
すでに女優として自分の演技を俯瞰する目を持っている。
セリフの言い方、顔の上げ方。
その一つひとつに工夫があって、自然と観客お目を引きつける。
娼館の女将であるお玉は、
年かさを出さねばならない難役。
娼婦たちを厳しく叱咤する背後に、
かつて自分も女郎であったことからにじみ出る情のようなものが
見え隠れしなくてはならない。
その上、
男たちと渡り合って商売しているだけに、
女だてらに度胸とドスの利いた部分も必要だ。
前半の守屋由貴には技術と気迫があり、
そのメリハリをつけて「お玉」というキャラクターを観客に植えつけた。
その「厳しいお玉」を受け継ぎつつ、
懸命に女たちを守ろうとする「優しいお玉」を完結させたのは、
後半のお玉・松井愛美。
ときに感情が激昂しすぎて多少セリフが聞き取りにくかったものの、
そのなりふりかまわぬ「激情」こそが、
お玉という女が心の底に持つ、やるせないほどの愛情を体現した。
人目も憚らず、幸薄い女たちのために大泣きするお玉の肩や背中の震えに、
思わずもらい泣き。
姉の花枝を追うようにして田舎から出て来て花枝夫婦を翻弄する千代美は、
前半が梶谷真智子、後半は豊城礼。
好奇心いっぱいで本能のまま動き、都会の危うさに自分から飛び込んでいく千代美を、
梶谷は元気いっぱいに演じる。
その「肉食系」で物欲しげなところは、多少くどすぎたか。
姉の花枝を頼って上京しておきながら、
姉の夫を誘惑した(彼女から誘惑したように見える)心情が、説得力に欠ける。
対して後半の豊城は、
上京して半年後の田舎臭さも消えた千代美を好演。
自然体で都会を自由に泳ぐ様子が新鮮だ。
義兄との関係も、誘惑した、というよりわがままでも貪欲でもなく、
彼女にしてみれば「普通にしてたら」男が寄ってきた、というような
あっけらかんさがよく出ていた。
特に「君はダンサーより芸者になるといい」と言われて
「私って芸者になれるかな?」と尋ねるところは、
まるで「私ってノーベル賞をとれるかな?」「オリンピックに出られるかな?」
と尋ねるがごとき無邪気さで、
千代美の計算高くなく憎めない人となりを、非常にうまく出していた。
ただし、
自然体なだけにセリフが日常会話に流れるきらいがある。
穏やかな物言いであっても会場に声の道が見えてくるような、
役者ならではの「聞かせる」滑舌・発声ができると、さらに安定するだろう。
玉の井の娼婦たちが、貧しさゆえに身を売り売られ、
心ならずも汚水の中に埋もれていく昔ながらの哀しい女であるのに対して、
千代美は「新しい女」の典型として描かれている。
だから豊城のほうが前半に合っていたかもしれない。
気持ちは田舎娘だが、見た目は非常に目を引く、という感じに見えたと思う。
梶谷の千代美は、
上京したてですでに都会慣れした雰囲気を出していた。
豊城礼が前半、梶谷が後半で千代美を見ると、
なぜ義兄と振付師とを手玉にとったか、など
また印象が違ってきたかもしれない。
長くなりました。
千代美の姉・花枝や主人公のお雪、男性陣、
そして全体的なことに関しては、また明日。
(*)本当は「墨」ではなく、さんずいに「墨」です。

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