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天皇と東大(上)
天皇と東大(下)
「なんで官僚は、東大出身の人ばっかりなんだ?」
と、思ったこと、ありませんか?
「そりゃ、東大の人はアタマがいいから、
公務員試験を受ければ合格する率が高いんだよね」
・・・と私は、勝手にそう思い込んでいました。
でも、
この「天皇と東大」を読むと、
もともと東大というのは、国を動かす人間を作るためにできたしくみなんだ、
ということがわかりました。
また、政治の世界でも、
明治からこれまで、
正反対の主張をして対立している右翼と左翼の論客が、
どちらも東大出身者で、知合いだったりすることも多いというのも目からウロコでした。
良くも悪くも、右も左も、時流に乗るも乗らないも、
すべていずれの側にも「東大」出身者がいて、
昭和という激動の時代を作ってきたのです。
著者の立花隆氏は、
膨大な資料の中からナマの声を拾い集めることで、
一方で揺るがせにできない事実を提示しながら、
臨場感ある「読みもの」として構成しています。
憎悪あり、策略あり、裏切りあり、復活あり。
たまに全然知らない人で、ものすごく魅力的な人がいて、
「この人のこと、もっと知りたいなー」と思ったり、
そうかと思えば逆に名前を知っている人が出てきて
「えっ、この人、アノ人の子どもだったのー??」とか
「えっ、だって、戦後は平和主義者でしょー??」とか
もういろいろな意味で、知らないことだらけな自分にビックリ。
大正デモクラシーの自由な雰囲気の中でマルクス経済論花盛りの左翼黄金時代から、
2.26事件を大きな分水嶺とする治安維持法など、言論統制の時代。
そして、戦後、またもや主役の総入れ替えへ。
それまで十数年何のとがめもなかった本が、ある日突然問題視され、
発禁処分になったり職を追われたりした時の、学問一途な教授の戸惑いもわかる。
当時「無能」とまで言われていた日和見学長の日記が最近になって発表され、
それでわかった彼の胸のうちなども、なかなか感動的。
歴史とは、見えるもの、見えないもの、すべてを巻き込んで
すべてが「今」とつながり、「今」を作っているんだと実感しました。
特に、犬養毅首相の暗殺から2.26事件に続く怒涛の連続テロ事件のあたりは、
当時を知る70代の方々も「こんなことは知らされていなかった」ということばかりだとか。
2.26事件に際し、昭和天皇がどんな思いで処断を決したかなども詳しく、
「天皇」と東大、というタイトルを裏切らない構成となっています。
今だからわかること、
今だからいえること満載。
分厚くて、字が小さくて、ちょっとムズカシイ本ですが、
読む前と後では、世の中を見る目が変わります。
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昭和史発掘
これと並行して読むとさらに面白いのが、
松本清張作「昭和史発掘」。
多くの名小説を書いた清張らしく、
「天皇と東大」以上に躍動感ある「よみもの」になっています。
なんと「天皇と東大」と同じ、文藝春秋社の週刊文春に連載していたものなのです。
こちらはどちらかといえば、「天皇」や「東大」サイドより、
庶民や実行部隊に焦点を当てた記述が多く、
それが「天皇と東大」と合わせ鏡のようになって、
昭和史のダイナミズムが深くアタマに浸透していく感じです。
東大出身者があそこにもここにもいることが「興味深い」との一文があり、
こうした記述を読んだ人が編集者の中にいるかもしれない、とふと思ったりしました。
これが書かれたのは、1964年から1965年(昭和39年~40年)。
書く人も、読む人も、戦争の時代を生きていたという時代背景によって、
既に「ソ連」も消滅してしまった後に書かれた「天皇と東大」(2002年~2005年)と、
また違った味わいが残ります。
戦後生まれの人間には想像もつかない事情をていねいに説明しながら、
わかりにくいことを今の人にできるだけ整理して伝えたいという立花氏に対し、
こんなことも、こんなことも、私たちは知らず、知らされずにいた、という松本氏の筆致。
誰のための、何のための資料掘り起こしか。
松本氏の執念を感じずにはいられません。
新装の文藝春秋文庫でも全9巻という長編で、
実は私もまだ全部は読みきっていませんが、
興味のある事件のところだけかいつまんで読んでもおもしろいところが、
松本清張の筆力だなあ、と思いました。
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「天皇と東大」と「昭和史発掘」
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