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「斜陽」


朝日新聞が、この4月から「百年読書会」というのを始めました。
月に1冊、課題図書を決め、
紙面で感想を言い合おうというものです。
第一回は、太宰治の斜陽
4月12日の紙面に、感想のまとめが載っています。(来週も続きます)
これに合わせる形で、
私も課題図書についてブログにレビューを書くことにしました。
「斜陽」は、中学生のときに読んだのが初めてで、
太宰の作品の中では読んだ時期は早いのですが、
全体で考えると、それほど好きなほうではありません。
「有名だから、読んだ」
そんな感じでした。
それからウン十年経って今読んでみると、
なるほど、これは中学生には実感できないよなー、と思うところがかなりありました。
特に、前半。
「最後の貴婦人」に描かれている母も、主人公のかず子も、
「自分で決める」ということができず、まどろっこしい。
文京の西片に屋敷を持っていながら、
かず子の叔父(母にすれば、夫の弟)に「もう売らないとダメだ」と言われると、
唯々諾々と荷物を整理して伊豆の片田舎に越してしまう。
越してしまってめそめそ泣いている。
十代のときは、生活力も意志も持ち得ない頼りない母と娘にしか見えなかった。
お金がなくなって、おろおろと泣いていても、
そんなの自業自得、みたいに突き放してしまいたい衝動にかられるのが普通でしょう。
でも。
母になり、子を育て、お金の心配も経験してみると、
彼女たちの深いため息に、大いに共感できるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お母さまは、今まで私に向って一度だってこんな弱音をおっしゃった事がなかったし、
また、
こんなに烈しくお泣きになったところを私に見せた事もなかった。
お父上がお亡くなりになった時も、
また私がお嫁に行く時も、
そして赤ちゃんをおなかにいれてお母様の許へ帰ってきた時も、そして、
赤ちゃんが病院で死んで生まれた時も、
それから私が病気になって寝込んでしまった時も、また、
直治が悪い事をした時も、…(中略)…
ああ、お金が無くなるという事は、なんとういうおそろしいみじめな、
救いの無い地獄だろう、と生れてはじめて気がついた思いで、胸が一ぱいになり、
あまりに苦しくて泣きたくても泣けず、…(後略)…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和22年の時点で、「お父さまが亡くなって十年」と言っているから、
一家が戸主を失ったのは、昭和12年ということになる。
貴族の家でなくても、当時それは大変なことだった。
もとより女性には何の権利もない。
跡取りは、第二子でも男である直治だ。しかし、まだ中学生くらい。
一族の後見として、叔父が仕切るのは、当然のことである。
その叔父の言うことに従うのも、一家の女として、是非もない。
戦前の法律とは、家族とは、そういうものだった。
父親あるいは夫という、直系の後ろ盾のない者にとって、
みごもったまま離縁された出戻り娘なぞ、
いかにやっかいな存在だったことか。
身を小さく小さく縮め、息をひそめて生きてきたのではないだろうか。
その上病気にはなる、
頼みの綱の長男は不良。
あげくに兵隊にとられて帰ってこない。
どんなに心細かっただろうか。
この「斜陽」が発表された戦後間もない日本には、
たとえ貴族でなくても、
かず子とその母の身の上に自分を重ねた人は多かったのではないか。
戦争が終わるまでは、苦しくてもピンとはっていた背筋が、
戦後あさましいほどに崩れ去ったことへの悔恨。
しかし髪振り乱してでも生きていかねばならない現実。
すべてが時代を写していたのだ。
そうした「美しい過去」へのノスタルジーが前半であるとしたら、
後半は、
まるでラノベのファンタジー小説か、少女マンガか、といった
燃えるような恋愛願望の描写が続く。
なんといっても、かず子の「あの人が好き。あの人も、きっと私を好き」という
この思い込みがすごい。
…このひとは、たしかに私のあの手紙を読んだ。そうして
 誰よりも私を愛していると、私はそのひとの言葉の雰囲気からすばやく察した。…
家庭がありながら3日も家に帰らずいろんな女を連れては飲み歩いている男に
ちょっとやさしくされただけで
この舞い上がりようは、なんなんだ??
しかし、このチョイワル男もたいしたヤツ。
恋文をもらってももらっても、返事を出さない。
かず子がじれて6年後におしかけていくと、
「今でも、僕を好きなのかい」
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」とかなんとか
恋文をちゃーんと読んでるよ、とアピール。
いきなりキスして、「しくじった。惚れちゃった」とぬかす。
もう、おぼこい出戻りちゃんには太刀打ちできる相手じゃございません。
…と、今だから冷静に分析することができるけれど、
その一方で、
このかず子の「恋の冒険」のくだりは、今読んでもドキドキする。
…上原さんは私の肩を軽く抱いて、
 私のからだは上原さんの二重廻しの袖で包まれたような形になったが、
 私は拒否せず、かえってぴったり寄りそってゆっくり歩いた。…
うーん、女の子が好んで空想しそうなシチュエーションだ。
これを、あのざんばら髪のおっさんが書いたのだ。
つい数年前まで「ホシガリマセンカツマデハ」とか、
かなといえばカタカナで、横書きだって右から書いていたっていうのに、
太宰は地の文に
「~しちゃった」とか書いてしまうのだ。
恋をするのに「戦闘、開始。」などと書くのだ。ドリカムみたいに。
なんてハイカラなんだろう。
文章のトーンがいつのまにか変わって、
気がつくと、穏やかに微笑んでいる人の心のうちの苦しさが伝わるような、
その表現力の潤いには、恐れ入る。
再読というのは、
本当にいろいろな発見がある。
初めて読んだときは、ただただ「太宰」を理解したい一心で、
私はかず子でも母親でもなく、ただ直治だけに注目していたように思う。
ほかの作品にもあるフレーズを見つけることだけにやっきになっていたかもしれない。
朝日新聞さんに感謝しなくちゃ。
こんなことがなければ、もう一度書棚から「斜陽」を取り出すことは、なかった。
名作を味わうには、人生の熟成もまた、必要である。

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