「ALWAYS三丁目の夕日」の世界は、
どうしてこれほど日本人の心をつかんで離さないのだろう?
その答えは、すべて「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のパンフレットの中にあった。
吉岡秀隆(茶川竜之介役)は語る。
「監督の頭の中にははっきりとした茶川像があるので(山崎監督はVFXも脚本も手がけている)、
僕は監督と話すことによってそれを吸収して、茶川になれればいいと思いました」
堤真一(鈴木オート社長役)は言う。
「長回しをする監督は、役者を信頼してくれている気がするんです。
監督は、僕たちがやっている芝居や、そこから生れてくるものを、
楽しんでくれていると感じました。その場の空気を撮っていましたから」
その山崎監督はというと・・・。
「演技をつけている気が全然しなくて、面白い人たちがいたので撮ってきましたっていう感覚(中略)
『また映画をやることになったので、お邪魔します!』って気持ちになりました。
三丁目の人たちの日常を撮らせてもらっている感覚でした」
堀北真希にしても薬師丸ひろ子にしても、とにかく脚本をよく読みこみ、
自分の役、前回との違い、時代と自分の関係を非常によく理解している。
山崎監督が「長回し」を取り入れた(すべて長回しにこだわったわけではない)のも、
「監督の思い=脚本」という共通理解があったからではないか。
本物の「昭和34年」を知る数少ない人物として、三浦友和(宅間医師役)の言も見逃せない。
「(若い)山崎監督の描く昭和30年代だからこそ、みんな共感できるんですね」
自分の経験からすれば、こんなに優しい人たちばかりではなかったし、
実際にはあの時代も、嫌なことがたくさんあったと語る三浦。
三丁目はいわば「理想郷」だ、と断言しながらも、
「いい思い出ばかり集めた物語だからこそ、この映画は素敵なんですよ」
同様のことを、若い吉岡も言っている。
「リアルじゃないと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは、
(当時を知らない)僕たちが作るんだから、ファンタジー的な要素があってもいいと思うんです」
物語を彩る美術がまたすごい。
「続編はない」と宣言されていたので、「鈴木オート」の看板以外はすべて作り直し。
「念のため」と思った衣装さんだけが、服だけ残していた、ということだった。
「前作は昭和30年代の再現だったけど、今回は『前回』の再現だった」らしい。
凝りに凝った前作の美術、実は図面通りではなく、その場でどんどん変えていっていたので、
その再現は本当に大変だったとか。
「本物」もしくは「本物と見まごう本物らしさ」に
すべてのスタッフがこだわり続け、アイテムや方法論を妥協せずに探し続け、見つけ出して作った
その舞台装置の完璧さが仕上げの魔法をかけて、
「三丁目」という「理想郷」が出来上がったといえよう。
前回は「見えない指輪」が印象的だったが、
今回は、小説家・茶川の仕事場がよかった。
覚悟を決め、店を休み、淳之介を鈴木オートに預けて「創作」にとりかかる茶川。
書き損じの原稿用紙や資料の本やタバコの吸殻が次第に積み上がり、
どんどんごちゃごちゃになっていく。
自分のすべての力を絞り出して「一作」を生み出そうとする作家の
一心不乱の執念に圧倒される。
これでなくちゃ。ここまでやらなくちゃ・・・。
茶川役の吉岡も言っている。
「監督は、続編の脚本を書く段階で、すごく苦しんだと思うんです。
それが茶川の物語に反映されている部分があると、脚本を読んだときに思いました。
(中略)撮影現場で(中略)部屋がぐちゃぐちゃになっているのを見たときに、
やっぱり監督は苦しんで脚本を書いたんだなって再認識して、
その苦労を僕が代弁したいと思いました」
監督冥利につきますよね、このあ・うんの呼吸!
泣かせようとして書いているわけではない。
そこに人間の真実がある。
大切な、思い出がある。
やりたいけど、できないこと
しなくてはいけなかったけど、できなかったこと
それを、自分に変わってやってくれているのが、「三丁目」の人々なのだ。
全部ウソなのに、一つもウソくささがない。
モノクロの8ミリに映された「鈴木家に子どもが生まれた時」の中にさえ、
「そうそう、こんな感じだった」と自分の家のアルバムの写真を思い出してしまう。
観ている者も、演じている者も、作っている者も、
「三丁目」が大好き。
そんな世界を作り上げた山崎監督に、改めて拍手を贈りたい。
*脚本には、「相棒」や「キサラギ!」の古沢良太も関わっています。
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