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「人間の條件」(第三部・第四部)

「人間の條件」第三部・第四部は、
主人公の梶が徴兵されて送られた北の軍隊での日々が描かれています。
(この6部作の映画全体及び第一部、第二部については、
トラックバックにある7月16日、17日の日記をご覧ください)
私のように、日本から徴兵制度がなくなってから生まれた人間にとって
「軍隊」というものの実態を知るすべは
こうした「映画」や「ドラマ」あるいは「マンガ」などに限られます。
最近、戦争を題材にしたドラマや映画が多いですが、
私が子どもの頃に見たものと比べて明らかに違いがあるのは、
第一に「なんでみんな、こんなにホッペタがプクプクなの?」っていうこと。
栄養状態、よさそーですよねー。お腹もポヨンポヨンの人、多くて。ちょっとありえない。
第二に、今のドラマでは兵隊さんがすぐに本音を漏らすけど、あんなことは言えなかっただろう、
言ったら、タイヘンなことになっていただろう、ということ。
第三に、身体がナヨナヨしてる。みんな直線的で、シャキーンとしていた。言葉も、身体も。
私でさえそう思うんだから、
本当にその時代に兵隊さんだった人たちは、おままごとにしか感じないでしょうね。
なぜ昔の戦争映画にリアリティーがあるかといえば、
当たり前ですが、
演じている人も、作っている人も、
「軍隊」というものを直接経験しているからなのです。
自分が新兵として入った隊でどう扱われたか。
リーダーとして、どう隊の生き死にを決断しなければならなかったか。
シベリアでは、南方では、満州では・・・。
生半可な描写では、演じる本人がウソ臭くてやる気を失くしたことでしょう。
戦時中とはいえ、日常のありふれた生活から突然
「人を殺す」ことを仕事にさせられる日々。
「人を殺さなければならない」
「殺されるかもしれない」
「帰れないかもしれない」
すべての人にのしかかるそうしたストレスは、
隊の中にでも弱いものイジメにはけ口に噴き出していきます。
体力のある人、力仕事を得意としていた人、武術に長けた人はまだいい。
最初は標的にされても、
そのうち実力を発揮し出し、一目置かれる存在となります。
昇進もあります。
主人公の梶のように、反抗的態度から辺境の隊に送られた者でも、
その屈強な精神力と銃撃の腕の確かさで
それなりの地位を獲得していくのです。
しかし、運動は大の苦手でそれまで本しか読んでこなかったようなひ弱な青年にとって、
軍隊というものがどんなに過酷だったか。
若き日の田中邦衛扮する新兵は、何をやらせても要領が悪く、
周囲の者をイラつかせます。
軍隊ではそれが「飯抜き」「凍って使えない便所の掃除」など、
生死に関わる罰に直結します。
少ない食料の奪い合い、極寒の外での作業の押し付け。
誰でも、生き残りたい。
ストレスが、弱いものに向けられていくのです。
彼が追いつめられて最後に行き着く行動の描き方には、
ハッとさせられます。
こんな殺伐としたところに、
梶の妻(新珠三千代)がやってきます。
「ただ、あなたに会いたかったから」
そんなこと、ありえるのか?
若くて美しい人妻の面会に、
隊の男達はいろめきたちます。
うらやみます。やっかみます。
でも、
上官は一晩、二人を一緒に過ごさせるのです。
まじ、ありえるのか?
リアリティーを積み重ねた映画の中の、ファンタジー。
月の光が小さな窓から差し込む暗い小屋の中で、
梶は「お前の裸が見たい」と言い、
妻はその窓辺に何もまとわずに凛として立ちつくします。
その姿を眼に焼き付けた梶には、
翌朝、前線への出撃が待っていました。
明日はもう死ぬかもしれないという運命共同体は、
ある所では過酷なイジメの巣窟であり、
ある所では他にはない強い絆を結ぶもの。
梶と妻の一夜は、他の者たちにとっても「日常」を感じられる
甘美な時間だったのかもしれません。

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