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宮崎駿の「風立ちぬ」

ものすごく流行っている一方で、
感想は賛否両論かなり分かれているようですね。
私は、最近のジブリ映画はあまり買っていなかったので、
それほど期待せずに行ったのですが、
非常に感銘を受けました。
社会とか時代とか、個人ではどうしようもない部分を負わされながら、
人間は一体どうすれば自分らしく一生を生き抜くことができるのか。
個人の夢の追求を貫きとおして今に至る宮崎駿という1人の人間の、
挫折と覚悟と未来へのメッセージが、
青臭いと言われようがなんだろうがそこには詰まっている。
彼独特の、美しさとリアリティと夢想とによって描かれているのです。
それが響くか響かないかは、
一つに育った時代があると思います。
これ、完全に昭和の文法でつくられた映画。
「もはや戦後ではない」と言われた「戦後」を肌で知っていて、
「関東大震災」とか「特高」とかを体験せずともなんとなく「匂い」を知れるような
「戦前」を知る世代がうじゃうじゃいた時代に育ち、
「風立ちぬ」といえば堀辰夫で「いざ、生きめやも」で、
意味はよくわからなないが、「いざ、生きめやも」といえばヴァレリーで、
堀辰夫といえばサナトリウムで、高原で、みたいな
同じ時代を生き、同じように前の時代を聞き知って育った私くらいの世代までには
ビンビン響く映画なのです。
帆掛け船とか牛が引く荷車とか、半纏きた人足さんとか、
そういうものと軽井沢のテニスコートとか洋館とかが共存していた時代、
共存していたけれど、その二つの世界を行き来できた人は少なかった時代を
生きなかったとしても、文学作品やら思い出話やらで垣間見ている人間には。
頭だけは近代的な飛行機の最先端を設計しながらも、
できた飛行機を滑走路まで引いていくのは半纏着た人と牛の荷車だったりする時代に
矛盾と郷愁のどちらをも感じられる世代には。
いつもは時代も場所も洋の東西もわからない架空の場所に物語を紡ぐ宮崎ですが、
今回は、太平洋戦争でなくなってしまった「戦前までの日本」を描きます。
細密に、まるでドキュメンタリー映画のように細密に、
再現することに力を注いでいます。
しかし彼がそこに重ねているのは、今の日本なのです。
関東大震災から太平洋戦争前夜までを描いたこの映画は、
裏読みすれば
「震災のあとには戦争がくる」可能性がある現代を示唆しており、
だからこそ、いくつかの警告が織り込まれています。
軽井沢の保養地でドイツ人が言います。
「ここは居心地がよい。いやなことはすべて忘れられる」
彼に取ってのいやなこととは、祖国で起きている、つまりヒトラーが台頭する世の中です。
しかし彼は続ける。
日本人にとっても、ここはいい場所だ、と。中国と戦争していることも、何もかも忘れられる、と。
私たちもいやなことは考えないようにして生きている。
原発のことも、震災のことも、pm2.5のことも、TPPのことも。
考えなければ、なかったことのように生きられる。
そうしなければ、苦しくて生きていけない。それも一方で真実だから。
上流社会の人々が集う戦前の軽井沢は、
社会を覆い尽くそうとする黒い影とその行く末を
早くから知ることのできる立場にいながらも
見ないふり、見えないふりをして現実を享受し、手を尽くさない人々の象徴でもあるのです。
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「あのとき、なぜ戦争に反対しなかったの?」
「そんなことはできなかったのよ」
と、私たちは親の世代からさんざん言われてきました。
「気がついたときには、そういう世の中になっていた」と。
だからこそ、
ちょっとした戦争の芽にも敏感に反応して、どんどん声を上げていかなければ、
「いつか来た道」に戻ってしまうよ、と私たちは教えられて育ちました。
そして、今。
私たちの世代の多くが、ひしひしと感じています。
「もはやほんとうに戦後ではない」と。
「ひょっとして、もはや戦争前夜に突入しているのではないか?」と。
「だから、今、声をあげろ!」と叫ぶ映画ではないところが、
宮崎が「ひよってる」という批判につながるのかもしれないけれど、
宮崎はものすごいペシミストだから、もうそんな段階ではないと感じているのだと思います。
とはいえ、彼も人の子。
ジブリの仕事場で子どもたちの歓声を聞きながら、
「この子たちに未来はないなどとは言えない」と語っている映像を見ました。
彼は、子どもたちに希望を与えたかったのです。
「どんな時代になっても、生きろ! 生きねば!」と。
夢の飛行機が人殺しの道具になるとしても。
結核が不治の病だったとしても。
絶望してはいけない。
少しの時間だったとしても、全力を尽くして生きろ、
君は、君らしく、幸せに生きろ!と。
これは宮崎が、日本の未来のために、覚悟決めて総括した映画です。
ままならない時代の中で、人々がいかに夢を抱き、生き抜いたか。
自分が手を汚したことを自覚しつつ「最後は、ずたずた」になりながらも。
いつのまにか忍び寄る影や、日本人の「忘れる」特性に警告を発しつつ。
悪いのは軍部で国民はだまされていた、しかたがなかった、というこれまでの戦争責任論から、
宮崎は一歩踏み出しているのです。
国民一人一人の夢や希望、あるいは他者への無関心が、
すべて戦争につながっているのだよ、と。
そのことを忘れてはいけない、自覚しなくてはいけない、と。
まだ間に合うのなら。
ペシミストの宮崎が、そこに一縷の望みも託しているのです。
「創造的寿命は10年だ。その10年を駆け抜けろ!」
主人公を飛行機の設計へと導いた美しい場所に横たわる、飛行機の累々たる残骸。
そんな自身の夢の中で問われる、
「君は、君の10年を、どう生きたかい?」
必死で駆け抜け、必死でつくり、そのゼロ戦に乗って多くの若者は飛び立ち、
そして「一機もかえってこなかった」
それを、胸に、それでも生きる。
泣いたり感動したりするというより、自戒の念をこめた遺言。
ストレートなる「生きねば!」です。
P.S.
私は庵野秀明の声が好きでした。訥々とした感じは、主人公の特性に合っていました。
他の声優さんたちも、
すごい俳優さんたちが出ていたのに、そういう「俳優の顔」があまり気にならず、
みなキャラクターと一体となっていました。
その意味でも、完成度が高かったように思います。

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