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韓国ドラマはなぜ目が離せなくなるのか?

とりたててはまっているドラマがあるわけではないけれど、
チェ・ジウが主演している「スターの恋人」とか、
時代劇の「朱蒙(チュモン)」とか、
ザッピングしてやっていると、そのまま最後まで見てしまう。
最近の日本のドラマは
「ちょっと見てみよう」とチャンネルを合わせても、
5分もたたないうちに席を離れてしまう、注意が散漫になるものが多い。
すべての日本のドラマがそう、とは言わないが、
この違いは何なのだろうか。
韓国のドラマはジェットコースターストーリーだから、とか、
すれ違いの連続だから、とか言われたとこもあったけれど、
それだけではない気がするのだ。
いろいろ考えてみたが、理由の一つに
「沈黙」の扱い方があるように思える。
韓国ドラマでは、
登場人物が無言でアップ、というのがけっこう多い。
それも「独り」ではなく、誰かと相対している場面で、である。
見つめあい、さぐりあい、でも言葉は少ない。出る情報が少ない。
私はそういうカットを見ながら
「この人は次に何を言おうとするのか」あるいは
「なぜ黙っているのか」
「本当は何をいいたいのか」
「それはいつ言おうと思っているのか」
「一体何を考えているのか」
一生懸命考えをめぐらしながら見ている気がする。
それに対し、
日本のドラマはまず、「沈黙」が少ない。
あっても短い。
あるいは、なぜ黙っているか、なぜ言えないのか、
すぐに分かってしまうような沈黙だったり
その答えがすぐに出てしまったりする。
よくいえば「わかりやすい」のである。
「わかりやすい」は、「これ以上見なくても行き先はわかる」に通じる。
橋田壽賀子は「お茶の間で主婦は家事をしながらテレビを見るから、
ラジオドラマを書くようなつもりで脚本を書く」と公言して憚らない。
彼女の書くものを否定はしないし、名作もたくさんあるし、
私も家事をしながら見ていることが多かったりしたから、
たしかに「耳だけの情報」であらすじについていける、というのは
ありがたい場合もある。
けれど、
それは当然のことながら、目からの情報はあってもなくても同じ、
という結果を生み出すわけである。
橋田作品は彼女が彼女なりの覚悟をもって作りあげた手法だから
それは一つのオリジナリティだろう。
しかし、
本来の映像ドラマの形があったからこそ、橋田手法はオリジナリティを持ちえた。
いつの間にか、「わかりやすさ」と「スピーディー」だけが
テレビドラマの核になってしまってはいないだろうか。
私は物書きだから、セリフの妙にもこだわりがあるが、
セリフを排した場面での映像の力、
あるいはセリフを裏切る映像の作り方にこそ、
総合芸術としての深みが感じられるのでは、と思う。
テレビドラマはつまらなければすぐにチャンネルを変えられてしまうから、
手を変え品を変え、つまり「変化」を提供して
視聴者をなんとか逃すまいとしている。
だから小ネタの効いたコミカルな話は歓迎される。
それはそれで面白いけれど、
それだけで大丈夫なのか?ニッポンのドラマ…と思ってしまう。
沈黙の演技ができる俳優、
沈黙に意味を持たせられる脚本、
沈黙に耐えられる視聴者。
こうしたものが集まらないと、なかなか難しいのかな?

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