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Noism「カルメン」@KAAT

金森穣率いるNoismの活動は、常に新しい挑戦に満ちている。
だからその作品は、
今や一つたりとも見逃せない。
その証拠に、
「カルメン」の関東圏での初日となる6/20の客席には、
首藤康之、中村恩恵、森山開次など、
Noism同様日本のモダンダンスを牽引する人々の顔が。
そこで繰り広げられた「カルメン」は、
「すべて知っている」パズルを使いながら、
まったく別の感動をもたらす舞台となった。
冒頭、「語る人」である旅の学者(原作者メリメ自身)が、
上手の「書斎」風机と、幕の前のスクリーンを使って
「これまでのいきさつ」を説明する。
それはちょっと冗長だけれど、スクリーンの使い方が巧みで
ようやく幕が開いて広々とした舞台に視野が開けた時が逆に新鮮で、
「ああ、これまでは『前振り』だったんだ」と改めて気づかされる。
そこから怒涛の「バレエ」が始まる。
Noismにしては様式的で、クラシックで、プティの振付のコンセプトもほうふつとさせる。
ところが…。
休憩をはさんで後半に入ったあたりから、
ぐんぐん金森色が強くなる。
カルメンと三角関係になってホセを争う「許嫁の女ミカエラ」の存在感が
魂たちの綱引きの緊張をキリキリと手繰り寄せていくのだ。
ここにきて、一幕は「人物紹介」の役割をきっちり果たしたことがわかる。
享楽と権力と栄誉のはざまを、
自由に、すり抜けるようにして生きるカルメンにとって、
「ホセ」は最初遊び駒の一つでしかない。
ホセにとって「カルメン」は、
未知なる世界のまだ使ったことのないオモチャにすぎない。
互いに「知らない」から「興味ある」だけの2人が、
自分がそちらに向かおうとすると「引き留める」力の反作用で、
どんどん近くなっていくのだ。
カルメンが本当にホセを愛するのは、
ホセがもっとも大事なものを失ったときだ。
同郷の男を失い、罪を犯して戻るべき故郷も失う。
一人たたずみ咆哮するホセの絶対的な孤独と共振したカルメンは、
初めてホセに心をゆるし、むしゃぶりつく。
天井からは、ミモザ。
真っ黄色の、大量の、ミモザ。
赤銅色の空と陸とを分けるのは、ただ1線の地平線。
夕暮れの星たちのようにまたたく半円形のともしびの中で、
2人は1つになる。
そのグラン・パ・ド・ドゥの美しさといったら…。
しかし、
その後カルメンは去っていく。
ホセにとって「前の社会」が足かせならば、
カルメンにとっての足かせは「運命」である。
ロマの女は、カードに示された「予言」に勝てない。
カルメンは舞台中央奥の、背を丸めた黒衣の影に向かって
吸い寄せられるように引きつけられてしまう。
そのとき、初めて気づくのだ。
物語の一番初めから何度も登場していた
あの背の丸い、顔の見えない、ちょっと滑稽にちょこちょこと歩く小さな黒衣たちが
謎の老婆ドロッテとともに、すべてを支配していたことを。
カルメンがホセを捨てる行為は、不条理でも気まぐれでもない。
必然だ。さだめだ。
さだめにのみ込まれるカルメンの悲愴が、こんなに身に染みるとは…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すべてが終わったその後で、
登場人物たちは、一枚の記念写真のようににこやかに背景におさまる。
みな、死んでいった人々だ。
そして、
最後の1ピースとして語り手のメリメもその「集合写真」に加わり、
「物語の挿絵」は完成する。
金森穣は今回の「カルメン」のキーワードとして、
「物語の物語」を挙げていた。
舞台を客席と区切り結界させる額縁のような四角い空間を
「プロセニアム」と呼ぶが、
この「結界性」を無視して自由にプロセニアムの内外を出入りする語り手が
気がつくと物語の中の人物と一体化していく様子を
どう作品にしていくのか、非常に興味があった。
一枚の「挿絵」に入って客体から主体になったメリメを見ながら、
私は自分自身、
いつのまにか「物語を観る者」から「物語を生きる者」に変容していたことに気づく。
前半、私は外から物語を眺めていた。
自分とは関係のない、知らない土地の知らない人々の話を
ふんふんと聞いていた。
いつでも閉じられる本を読んでいたような感じで。
しかし後半は違う。
ホセの、カルメンの、ミカエラの恋の行方の終着駅まで、
私は疾走する。
ホセとなって、カルメンとなって、ミカエラとなって。
そして私も、一緒に挿絵の中に入って記念写真の仲間入りをしたのである。
金森氏は
「いつかNoismもなくなって、そうしたらNoismも様々な人に語られ、物語になる」
と言っていた。
「物語になる」とはもしかしたら、
主体がなくなって客体が語るということではなく、
主体そのものがなくなっても「物語」ることで、客体がその魂を受け継ぐことそのものなのかもしれない。
そうやって、
古典の中の人物たちは永遠の命を得たのである。
ラストシーンを考え出した金森にリスペクト。
もちろん、
彼の世界観を寸分たがわず視覚化したキャストの力はすごい。
金森は言う。
「Noismはこうだっていうのは、鍛錬された身体だけ。それだけは譲らない」
その通りだ。
カルメンの井関佐和子、
ホセの中川賢、
ミカエラの真下恵、
ドロッテの石原悠子、
Noism1のメンバーだけでなく2のメンバーも、
みな素晴らしい動きだった。
俳優として参加した奥野晃士も負けず劣らずきびきび動いて違和感がなかった。
もう一度、あの陶酔の中に身をおいてみたいと思う。
「カルメン」舞台製作記者会見の模様はこちら

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