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四月大歌舞伎夜公演「曽根崎心中」

夜の公演は「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」
「廓文章(くるわぶんしょう)」「曽根崎心中」の3幕です。
「曽根崎心中」については、
観劇当日坂田藤十郎の演じるお初が1300回を数えたということを
ブログでお伝えしました。
近松門左衛門の人形浄瑠璃から歌舞伎へと発展を続け、
ドラマ・舞台としても何度となく演じられているこの物語は、
「心中もの」の一角として、非常に有名です。
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平野屋の手代・徳兵衛(翫雀)は、
天満屋のお初というなじみの遊女(藤十郎)がありながら
平野屋の店主でもある伯父・久右衛門(我當)に勝手に結婚を決められ、
その持参金を義理の母がもらってしまったことで立場をなくし、
持参金分の金を返済することで結婚の話を解消することにする。
しかし、返済するために得た金を、
友人の九平次(橋之助)に懇願されて貸してしまい、
返済を求めると「そんな金は知らない」と突っぱねられる。
そればかりか、
「その印判は紛失したもの。さては盗んで証文を偽造したな」と
公衆の面前で詐欺扱いを受け、足蹴にされる。
長年の友と思っていた九平次に計画的にだまされたと知った徳兵衛は、
ほかに金を工面するあてもなく、
失意のうちにお初に会いにいく。
金を持って帰ってくるはずの徳兵衛が帰ってこないため、
さてはその金でまたもやお初に会いにいっているなと思った久右衛門は、
天満屋にいってお初を糾弾する。
また、酔った九平次たちも天満屋にたどりつき、
徳兵衛が詐欺をしたと吹聴しながら遊女たちを相手にまた酒を飲む。
縁の下に徳兵衛をかくしながら、
徳兵衛を笑いものにする九平次たちの言いようをじっと聞くお初が、
客たちに話すようにして縁の下の徳兵衛と
「一緒に死ぬ覚悟」をたしかめあう場面が有名で、
徳兵衛は、お初が縁側から差し出した右の素足を掻き抱き、
足先を首にあてて「死ぬ覚悟」を知らせる。
「金が返せないから」「女と添い遂げられないから」
だから死ぬ!みたいな短絡さは、
えてして「筋書きのための筋書き」になりがちである。
でも「曽根崎心中」には、
感情移入させるだけのしっかりしたリアリティが仕組まれている。
「足で死ぬ覚悟を知らせる」とあるのを読んでも
あまりピンとこないかもしれないが、
お初の白い脚がとん、とん、と徳兵衛に信号を送り、
徳兵衛が、「わかった」とばかりにその脚を抱きしめ、
「お前はそこまで私を愛してくれているんだね」と脚の甲に顔をすりつける
その仕草の一つひとつは、
エロティックというより情愛の奥深い泉から湧き出る真実の表出として傑出、
お初の白い脚と徳兵衛の顔は、神々しいまでに輝いて見えた。
また、
徳兵衛が九平次に証文偽造のいいがかりをつけられるところも秀逸。
徳兵衛は、人だかりの町人たちに自分の正当性と無実を無骨に訴えるが、
最初話を聞いていた群衆も、
立て板に水の九平次のいいがかりをすんなり受け入れ納得、
徳兵衛はたちまち孤立無援に陥ってしまう。
その上、
九平次やその仲間が殴る蹴るの狼藉を始めると、
周囲の人々は途端にそっぼをむいて凍りつく。
「係わり合いにならないようにしよう」の雰囲気が、
町人たちの背中のストップモーションと、音楽の沈黙で鮮やかに表現される。
「これではお上に訴え出ても勝ち目はない。もうだめだ」と
徳兵衛が追い詰められるプロセスが、
非常にリアルに描かれていると感じた。
そもそも、
徳兵衛は母親を早くになくし、実家は継母が牛耳って居場所がない。
伯父にかわいがられて手代をしっかり務めていたのに、
伯父のいうままに結婚しないという、伯父にたてつく事態を初めて招いて、
「根がまじめでおとなしい」徳兵衛としては、
愛のためといいながら、かなり無理してがんばっている。
その逼迫した状態で頼みの友人に裏切られ、お初と添い遂げる道を断たれてしまう。
噂をどんどん広げられ、周りの信頼も失った。
一方、
お初は遊女である。
徳兵衛の気持ちにうそがないことを確かめ合ったうれしさが大きい分、
「遊女のお前がたぶらかしたんだろう」と久右衛門にいわれる情けなさ。
「そう思われるのは当然ですが、
 愛し合う二人の気持ちにうそはないことだけはわかってください」
久右衛門に言うお初のこの言葉には、
自分は退けられて当然の身分にあることをわきまえた哀しさがある。
最初から、添い遂げられる希望の薄いことを、
二人が感じながらも求め合ってきた、
そこに次々と降りかかる故意・偶然をとりまぜた不幸。
最後、久右衛門が真相を知り、二人の仲を認めようと思ったときには、
すでに二人は死出の道に踏み出している。
こういう「すれちがい」の手法は、すべてのメロドラマの基本である。
あまりにお決まり、あまりにクサくてかえってひいてしまうものの多い中、
「ここまできたら誰でもこうなる」と思わせ、
「もう少し待っていればなんとかなったものを」とも軽々に感じさせない。
これは必然だ。
必死でこらえながら生きてきた二人の弱者の
希望の糸がぷっつりと断たれてしまった。
誘い、誘われながら、森のなかへと二人そぞろ歩く最終場は美しい。
あまりに美しく、
そのために「心中を擁護している」とみなされ、
幕府から興行をさしとめられたこともあると読んだことがある。
夢遊病者のように前に進む25歳の徳兵衛に対し、
ときどき未練を残すように後ろを振り返る19歳のお初が哀れだ。
しっかりと互いを抱きしめ、刃をむけるところをゆっくりと見せ
そのポーズのまま幕は降りる。
筋書(パンフレット)には
「徳兵衛が脇差でお初を刺し、徳兵衛もこれに続いて息絶える」とあるが、
刺してこと切れて
「ああ刺しちゃった、死んじゃった、おしまいおしまい」の一段落はない。
観客は二人の最期を固唾を呑んでみつめながら、
その緊張感をひきずって劇場をあとにするのである。
「死ぬ」を描きながら、「生きたい」思いをひしひしと感じる舞台だった。
曽根崎心中はすごい。
ここまで練られた本だからこそ、
何百年と時を経て、時代も社会も変容してなお、演じ続けられるのだろう。

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