新しい歌舞伎座に行ってまいりました。
まずは第一部。
最初の演目は「壽祝歌舞伎華彩〜鶴寿千載」。
王朝絵巻のような色鮮やかな勢ぞろいは、
まさに「華麗」な「彩色」!
お祝いにふさわしい幕開きでした。
でも、
色とりどりの衣裳に負けない純白の鶴がすごかった。
これは、とにもかくにも藤十郎の神々しさが光りました。
本当に鶴の精そのもの!
出てきたときから退くまで、人間ぽさをまったく感じない。
お顔がもう天女さんみたいでした。
次の演目は「お祭り」。
「待ってました!」と声をかけられない寂しさ。
「待っていたとはありがたい」。そう言って帰ってきてくれるはずだった、
その人がいない。
不在の在ばかりを感じてしまいました。
ただ、初お目見えの七緒八くんの堂々ぶりが、
中村屋の明日を垣間見せてくれてうれしかった。
扇を使ってちゃんと見得を切ってました。
お父さんや叔父さんの舞もじっと見ていて、
ときに真似るように手が動いたりして。
大物になりそうですね。
最後は「熊谷陣屋」。
吉右衛門の熊谷直実は、かなり抑え目な演技。
藤の方には、初役の菊之助。これがよかった。
品がありつつ、母としての必死さが伝わってきた。
吉右衛門との息の合わせ方も絶妙で、
それが緊迫感を醸し出していたのだろう。
相模は久々の玉三郎。
打掛のさばきとかがちょっともたついて、
玉三郎らしからぬところがあった。
息子が身代わりの首となったことを知ってからは、
嘆きの深さをリアルに演じていた。
そこが魅力的でもあったが、夫直実の抑制と対照的すぎて、
全体のバランスというか、大きな流れが少しちぐはぐで、
最後は盛り上がりに欠けたような気がする。
そのため、後半は仁左衛門の義経の大きさが
目立った。
弥陀六と義経の物語に決着がつくと、
直実の出家など付け足しみたいになってしまった。
バランスというのは、大切だとつくづく思った。
新しい歌舞伎座は、ほんとに前の歌舞伎座に
そっくりで、
まったく違和感を感じませんでした。
でも、
時々ガランとした空気感を感じる。
長年積み重なった埃のようなものが、
あちこちの「隙間」を埋めていたのかもしれません。
この劇場も、これから育っていくのだ、
これから歴史が始まるのだ、と思った。
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