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新作歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」@歌舞伎座

朝日新聞の「声」欄に
歌舞伎座の新作「大江戸りびんぐでっど」の出来に耐えられず
途中で退出してしまった、という人の「声」が載っていた。
その方の長い観劇歴でも、中途退出は初めてのこと、という。
つまらなかったから、というより、
「ハケン」に対する姿勢に胸を悪くしたから、というのが大きく、
そのほかにも、いたたまれない描写が多々あったと感じたそうだ。
どんな話かというと、
新島でくさやの干物を作っていた夫の新吉(勘三郎)を殺されて
江戸へ出てきたお葉(七之助)と、
彼女を追って来たおさななじみの半助(染五郎)を軸に、
くさや汁につかった死人が生き返ってゾンビになることでの騒ぎを描いたもの。
ゾンビたちが、もとは新島の仲間であったこともあり、
このまま江戸においてもらえるように半助が画策、
「殺しても死なない」から安く使える、危ない仕事もできる、と持ちかけ、
「はけん」という名で働かせることにするのだ。
投稿者の気持ちはよくわかる。
クドカンの手法を知る私でも
「これ大丈夫か?」と思ったところ、たくさんあった。
下北沢の小劇場で、若者だけでウケて雲散霧消しちゃうような小ネタが
歌舞伎座の空気でどよーんとたまる感じがなんとも…。
大体、
「ゾンビ」=「死にぞこない」=「はけん」のほかに、
「死にぞこない」=身体障害者的な描写があって、
(ゾンビたちの手足、ものの言い方は、どうみても麻痺のある人のマネ)
そのあたりも、見ていて気持ちのいいものじゃなかった。
でも、
投稿者さんには最後まで、観てほしかったなと思う。
なぜなら、
このステージ、前半と後半、ちょっと様子がちがうからである。
前半は、
本人もパンフレット(歌舞伎では「筋書き」という)に
「歌舞伎かどうかはわからない」と書いてあるように、
テンションも様子もセリフも、
衣裳や大道具が時代物だという以外、今までのクドカン舞台とあまり変わらない。
どちらかというと、
歌舞伎役者がクドカンの演劇に出演した、という感じである。
おまけに、上に書いたような描写にプラスして
「りびんぐでっど」=「ゾンビ」=マイケル・ジャクソン「スリラー」で
「あの」振り付けが披露される。
それもベタに、というかぞんざいに。
歌舞伎座に歌舞伎を観に来たお客さんは、鼻白んだであろうこと間違いなしだ。
歌舞伎役者はみんな踊りはプロ。
キホンは出来てる人をつかまえて
中には名取の人もいるというのにこんな中途半端なものを
なんでやるんだろう。
ロックでもヒップホップでもなんでも、
やらせるなら一流の振り付けを完璧にさせればきっといいものができるはず。
なぜなら、
「歌舞伎」とは、「しどころ」で魅せるものなんだから。
役者一人ひとりが自分の見せ場でギアをトップに入れてこそ、
やんややんやの喝采が起こる。
つまり、
「パリ・オペラ座のすべて」的にいえば、
クドカンは新参入の振付家として
レーシング・カー(エトワール)に時速10キロの仕事をさせてしまった感あり。
あの場面だけを観たら、
かつて「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベスト10」でやった
日本版お化けの「スリラー」のほうが、ずっとオリジナリティがあったし、
完成度も高かった。
しかし後半、
話にしか出てこなかった新吉(勘三郎)が出てくるあたりから
ずんずんと歌舞伎らしくなってくる。
それは
「人の罪」というものを「人の縁(えにし)」とぐるぐるに絡めて描く
まさに歌舞伎ワールドが展開し始めるからなのだ。
役者を活かしきれてなかったとはいえ、
七之助はその美貌とすっきりした声で、出てきただけでスターだし、
染五郎には悪に堕ちていく男をやらせ、いつもどおり悲壮感が漂ってグーだし、
浪人の四十郎役三津五郎は、
すごーく落ちぶれて見えるのに、殺陣をやらせたらものすごいんだし、
(橋之助との手合わせなど、ケガしないかっていうくらいの迫力)
亀蔵や弥十郎は緩急自在の実力で脇を固めるし、
場面によってはいいところもたくさんあった。
ハケンだのマイケルネタだの、
一時的なネタを使っては歌舞伎として残らないだろう、と思う向きも
あるかもしれない。
でも、
歌舞伎って、昔からワイドショーコントなわけで、
忠臣蔵だって心中話だって、
実際の事件があってすぐ書かれている(最初は文楽の本としてのものが多い)。
だからそのことは逆に歌舞伎らしいし、
「人間豹」のときも言ったけれど、
そうやって新作がどんどんできるのもいいこと。
たくさんできて、その中でいいものが残り、古典となる。
では、
これは「淘汰」されるほうか、残るほうか。
私は野田版「研ぎ辰」は残る筆頭、
この「りびんぐでっど」は淘汰される筆頭だと思う。
これを歌舞伎でやる意味が見出せないから。
そして、観客を味方にできない物語は残りようがないから。
(*追記:この点について、文末をご参照ください)
歌舞伎は、常に弱者のうめき声を代弁してきた。
よく言った、よくやった、
理不尽な世の中で斬られ、捨てられ、忘れ去られていく者たちの、
五分の魂を丁寧に描いている。
一方で
華やかな世界、ヒーローの活躍も欠かさない。
そういう夢に憧れるのもまた、
庶民だから。
セリフのやり取りひとつ、ふとした表情ひとつに
細やかな配慮や複雑な心情を入れ込む脚本の緻密さが
これまで生き残ってきた名作にはある。
半助の、お葉に対する気持ち、
お葉の、半助に対する気持ちの変化、
お葉と新吉が再会したときの二人の辛さ。
そうしたものが深く書き込まれていない。
だから話がずるずる流れて
クライマックスもカタルシスも中途半端なのである。
私が観たのは12/10だったが、
クドカン目当てでやってきた若いお客さんも、
歌舞伎が初めてのご夫婦も、
かえって勘太郎の「操り三番叟」や勘三郎の「身代わり座禅」に
とても引き込まれていた。
こうした歌舞伎の定番の魅力を
知らない人たちに見させた、という意味で、
クドカンに本を書かせた意義は大きい。
【追記】
上記の「これは淘汰されるほうの筆頭」という言葉が強すぎたかもしれません。
正しくは、
「このままでは淘汰される」です。
舞台作品というものは、再演されることで成長していきます。
この「大江戸りびんぐでっど」はシネマ歌舞伎として上演を繰り返していますが、
舞台としての再演は実現していません(2015年7月現在)。
私は、この作品のお葉をめぐる物語が大好き。
宮藤官九郎も本作を経て「天日坊」も作り、歌舞伎への理解も深まっています。
ぜひ再演して、初演とは違う目で練り直していただきたいと思います。
そうすれば、
もっともっと魅力的なものになるはずだし、
役者のしどころも増え、もっと「歌舞伎」らしくなるはず!
「NINAGAWA十二夜」だって、再演時にかなり役者からの意見が出たと聞いています。
そうやって洗練されていくことで、
作品は未来へと残っていくのだと思います。(2015.7.24追記)

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