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「小さなエイヨルフ」

イプセンの家庭劇は、
なぜこんなにも隠したいものをえぐり出すのだろうか。
私たちが日々の生活の中で思っていること。
思っているけど、口に出せないこと。
ずーっと考えているけれど、言葉にしてはならないこと。
表に出したその瞬間に、
「見かけ」の幸せは「本当」の幸せも連れて
どこかへ行ってしまう。
本能がそれを知っていて、
胸の奥の奥に鍵をかけて押し込めてあるもの。
それを、
イプセンは、ステージの上で全部ぶちまける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
松葉杖をついた子ども・エイヨルフをめぐる、夫婦の話である。
長い不在の果て、ひょっこり帰ってきた夫・アルメルス(勝村政信)は、
「これからは、エイヨルフのために生きる」と宣言する。
「今まで、ボクは子どもとちゃんと向き合っていなかった。
 仕事仕事に逃げ込んで、父親としての役割を果たしていなかった。
 エイヨルフの幸せを考えること、
 そのために努力すること、
 それが、親としての生きがいだ!」
それまで、本ばかり読ませていたのに、
今度は外で遊ばせようという。
夫の180度の変わりようを、
妻のリタ(とよた真帆)は、覚めた目で見ている。
自分勝手。
そういう妻は、もっと自分勝手だ。
「私と仕事と、どっちが大切?」と訊く女である。
そして、
「私とエイヨルフと、どっちが大切?」とさえ迫る女である。
「私はがまんしない。
 私はあなたがほしい」
「だって、エイヨルフは二人の子どもだろ?
 子どもを一番に考えるのは当たり前じゃないか」と夫。
「じゃあ、子どもが生まれる前の一番は?」
「そりゃ…君だよ」
「じゃあ、あんな子、産まなければよかった」
…そんなふうに、言ってしまう女である。
でも、悪い女には見えないのだ。
妻なら、母なら、必ずもっている、
母性の真綿の中の、そのまた中の中に潜んでいる一片のトゲ。
リタはそれを、きっぱりと口にしているだけ。
リタは感じている。
「私は、本当は、愛されていない」と。
ちっちゃなエイヨルフの前に、「大きなエイヨルフ」がいた。
夫の心の中に、
自分以外の存在がいることを、
彼女は本能的に知っている。
それが彼女を過激に発言させるのだ。
鍵を握るのは、
アルメルスの妹・アスタ(馬渕英俚可)だ。
聡明で、思慮深く、そして孤独を抱える女・アスタ。
幼くして両親を失くし、兄妹二人で人生の荒波に耐えてきた二人には、
分かちがたい絆があった。
年下ながら、
アルメルスを支えていたのは、アスタのほうだ。
夫婦のエゴのぶつかりあいは、
さらなる悲劇によって、最高潮に達する。
その責任は自分にある、という良心の呵責と、
それはおまえのせいだ、という非難の矛先と、
妻も、夫も、それぞれが両方の感情に身を引き裂かれ、
そしてお互いを傷つけずにはいられない。
苦しい話である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それでも、救いはある。
それでも、光はある。
劇場を後にするとき、私の胸はふさがれていはしない。
「向き合う」とは、これほどエネルギーのいることなのか。
とことん向き合ったその先に、
答えはある、とイプセンは言っているようだ。
最近、
結婚して数年で別れてしまうカップルが増えた。
それも、
とことんけんかして、話し合って、というよりは、
お互い傷つけたくないから、みたいな別れ方もあるようだ。
夫婦とは、傷つけあうもの。
相手の心をこじあけて、赤裸の皮膚に塩をなすりつけて、
自分のなすりつけた塩をぜんぶ舐めつくすような、
きっとそんなグロテスクな関係なのだろう。
アルメルスはいう。
「人間には、変化の法則があるんだ。
 ただ、血のつながりのある関係だけは、変わらない」と。
他人なのに、血族より濃い人生を送るのが、夫婦。
その不可思議なエネルギーの核心を、
見せられたような気がする。
*「ねずみ婆さん」という、幻想的な役で出てきたマメ山田が衝撃的に上手い。
 彼のせりふ回しに、思わず体が引き込まれた。
あうるすぽっと(東京・東池袋)にて、
2月13日観劇。
演出:タニノクロウ

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