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「道元の冒険」はひょっこりひょうたん島

井上ひさし作、蜷川幸雄演出の音楽劇「道元の冒険」を観てきた。
阿部寛が禅宗である曹洞宗の開祖・道元になり、
栗山千明が初舞台、
お坊さんのお話だから、みんな頭がクリクリ、
などという触れ込みで話題をさらった。
宗教の話かー、坊さんの話かー、と敬遠している皆さん、
これは、喜劇です。
面白い。
みんな芸達者。
特に、木場勝己さん。
彼の喜劇的センスは「十二夜」で証明済みだが
道元の一の弟子である懐奘のほか、
親鸞、日蓮、栄西、といった日本の名だたる仏教宗派の開祖、
比叡山の僧兵・豪雲、
宋の高名な僧である如浄など8役を引き受け、
役の数だけではなく、どれも道元と対峙する重要な役である中、
早変わりの見事さ、笑いを誘うセリフのうまさと間合い、
その中にふとちりばめられる仏の教えの深淵さ、などなど、
枚挙にいとまがないほど役者の力量の違いを見せつける。
高橋洋、真骨頂。
「あわれ彼女は娼婦」のバーケット役は忘れがたい造形だったが、
それを上回るハジけようで、白塗り貴族の兼平、宋で道元に中国語を教える中国人などを熱演。
兼平の「たらちねの、あしびきの、つれづれの、ひさかたの、…」と
枕詞や掛詞ばかりつなげてまーったく用件にたどりつかない貴族のバカバカしさ、
「中国語と日本語は、筆談なら意が通じます!」という青年道元(北村有起哉)に対し、
「愛人」「娘」「飯店」などの意味の違いをテンポよくあげつらって諭す場面など、
観客を喜ばせるツボを知っていて、
かつ、セリフの通りや滑舌のよさで早口も自由自在なところに、
いつもながら舌を巻く。
阿部寛も、
さすがつかこうへいにしごかれてひと皮むけた男、
その声の太さ、演技の大きさは主役にふさわしい。
誰より悟りを開いているようで、
ふとよぎる煩悩の誘惑に負けそうになって慄然とする、
その正と動がすばらしかった。
また、道元と、その夢に出てくる囚人との二役の入れ替えもスムーズ。
おちゃらけたセリフを1つも言わずに観客を笑わせるところは、
数々のヒットテレビドラマで鍛えた呼吸か。
堂々たるものである。
栗山千明は、
髪を落とす前の道元や、比叡山で修行に入ったことの初々しい道元がよい。
高貴な生まれでありながら両親を早くに亡くし無常にとりつかれ、
「一番大切な人を失いたくなかったのに、国も政治も何も助けにはならなかった。
 それならこっちから全部捨ててやる!」という気持ち。
一心に勉強をし、純粋に仏法を極めようとしているのに、
周りは僧でありながら、出世のことしか考えていないと知ったときの絶望。
少年らしい一本気で清らかな感じがほとばしっていた。
この、女性が少年をやっている、その声の高さとまっすぐさを聴きながら、
どこか懐かしさが甦ってきた。
栗山千明の少年道元って、「ひょっこりひょうたん島」の博士みたい。
あれも、中山千夏が博士の声をやっていたよね。
そういう目でみると、
木場さん扮するお坊さんたちは「ドン・ガバチョ」だし、
彼が僧兵の格好してきた豪雲は、「トラヒゲ」。
道元の寺のお坊さんになったり、トラヒゲの手下の僧兵になったりするのは
博士のクラスメイトのダンプ、チャッピー、テケ、プリン、キッドの面々か。
お坊さんたちが手と手をたずさえ歌をうたう場面では、
ホントにみんながお人形に見えてしまいました。
実際、一幕の最後は船に乗る人形まで出てきちゃって、
この類推にタイコ判押してもらった気がします。
「ひょっこりひょうたん島」が子供向けのドタバタ音楽劇の顔をしながら、
ものすごく深いことを言っていたように、
この「道元の冒険」も、
道元が開こうとした「真の悟りとは?」をきっちり見せてくれます。
比叡山を出て、栄西の建仁寺に行き、宋に渡り、聖師を求め、
そして4年の修行の後に日本に戻ってくる。
それも「ひょうたん島」の冒険譚につながるものがあった。
しかし。
ひょうたん島は連続ドラマだ。
これは、たった一夜の演劇。
夜7時開演、
遅めの昼食をとり、舞台がはねてから夫とどこかで食事をして帰るつもりだったが、
行ってビックリ!
な、なんと終演が10時10分だ。店、もう閉まってるなー。
長い。
1時間半を2回見るわけで。シアターコクーンの座席は、列と列との間が狭く、
はっきり言って、エコノミー症候群一歩手前。
休憩で1回15分の休憩に席を立ち、血の巡りを活発化させたが、
それでもオシリが痛いのなんの…。
(その休憩に食べた800円のカツサンド、おいしかった!)
パンフレットによると、1971年に初演した時は、今回よりもっと長く、
書き下ろした本をそのままやれば6~7時間にはなったものをカットして上演したとか。
井上ひさし、「何考えてるんじゃ~??」
…と、座禅の師よろしく喝を入れたいくらいである。
が、
今回はそのあたり自覚して、さらに短くした由。
どこをどう切り、書き直したのかは知らないが、
演劇としての面白さは、きっと倍増したことだろう。
長いけれども、決して飽きることはない。
そこは、保証します。
けれど、
道元の半生記としての「冒険」と、
彼の夢の中で繰り広げられる「現代」の交差という入れ子は、
「2008年」に、どのくらいの意味とインパクトがあっただろうか。
井上ひさしは、
正論を唱え、真の座禅を広める道元を「座るだけで何が変わるのか」と鼻で嗤った当時を、
1970年前後の、公害を阻止しようと座り込みをする人々を異端視する風潮と重ねて
この戯曲を書いたという。
私は初演を見ていないが、
それが作者自身をして「戯曲の出来栄えといったら最悪最低」だった
と振り返らせるものだったとしても、
きっとその当時、この戯曲を書く意義は、きっと高かったと思う。
だからこそ、
蜷川幸雄は再演を希望した。戯曲の持つエネルギーを感じた。
(当時も、岸田戯曲賞などを受賞している)
道元の、そして道元の師が説く仏法は、新鮮で納得がいき、心にとどまったが、
何が夢で、何が狂気かを問うフィナーレは
それほどの衝撃をもたらさなかった。
というか、
こういう幕切れに何の意味を感じればいい?
私は、井上ひさしなら、蜷川幸雄なら、
もっと恐ろしく、胸をえぐるような結末があるのではないかと期待していた。
21世紀は、本当に崩壊しそうなこの世からわれわれを救ってくれる
心の思想を求めているような気がする。
*同じ井上ひさし作の「ロマンス」で何人もの人がチェーホフをやったのと同様、
 この「道元の冒険」でも、核となる道元は阿部寛ですが、
 少年道元を栗山千明、青年道元を北村有起哉、壮年道元を高橋洋が演じます。

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