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戯曲「かもめ」


赤坂ACTシアターで上演されている「かもめ」は、沼野充義氏の新訳を採用しています。
新訳の戯曲は、雑誌「すばる」の 2008年7月号に掲載され、書店のほか劇場でも売っていたので、手にとった人も多かったのでは?
チェーホフの「かもめ」を読むにあたって、旧訳か新訳か。
私は神西清(じんさい・きよし)さんの昔からの訳の本を買いました。

かもめ改版
理由は、新訳のほうは演劇で見たので、
どのくらい旧訳と違うかも楽しみたかったということと、
神西さんは作家でもあり演劇人でもあるということで、
その訳を「みごと」と絶賛する人が多いから、それを読んでみたいと思って。
その神西さんの訳による「かもめ」を読んで、最初に思ったことは、
「それほど違わないんじゃない?」
文庫本を読みながら、トレープレフは藤原くんで、トリゴーリンは鹿賀さんで、
ニーナは美波さん、ポリーナは藤田さん・・・というふうに、
顔が浮かんできます。
演劇ってこれが楽しいよね。
一度見ると、戯曲を読んでいるだけで、またまた脳内芝居を体感できちゃうんだから。
多少言い回しはちがうかもしれないけど、
私はまったく違和感なく読みました。面白かった。すらすら読めた。
これは、劇として一度見ているからかもしれないな。
戯曲を読んで気がついたのは、ニーナのことでした。
あの有名な「わたしはかもめ」というセリフ。
傷ついて帰ってきたニーナは、2年ぶりにトレープレフと二人で話をします。
でも、ニーナの様子はちょっとおかしい。
何の話をしていても、最後に「わたしは、かもめ」とつけてしまうの。
そして
「いいえ、それじゃない」「いいえ、そうじゃない」と続ける。
この「いいえ、それじゃない」って、何?
ニーナはこの再会に先立って、トレープレフに手紙を書いています。何通も。
その手紙の差出人として、ニーナは「かもめ」とサインをしている。
だから、「わたしはかもめ」なんだ、とスラーっと理解していましたが。
この「いいえ、そうじゃない」と必ずセットなところが気になります。
ニーナは最後に、「かもめ」の代りに
「そう、わたしは、女優」と言い切って、彼女はもう自分をかもめと名乗らなくなります。
彼女が自分を「かもめ」と認識するのは、トリゴーリンの言葉からです。
「かもめのように湖が好きで、幸福で自由」な娘、と彼がニーナをなぞらえたから。
「わたしは、かもめのように、自由で幸福なはずなのに、なんでこんなことになっちゃったの?」
そういう気持ちがあるうちは、彼女は「かもめ」と名乗ったのかもしれません。
最後の最後に「いいえ、わたしは、女優」と宣言するニーナは、地に足がついています。
「この仕事」で大切なことは、有名になることではなく「忍耐力」こそ必要だ、と悟り、
その上で
「大女優になったら観に来てね」とトレープレフに軽く言っちゃう、そのしたたかさ。
彼女は、湖の上をただ憧れだけを胸にたゆたう「かもめ」から、
意志をもった女、女優という職業を生きようと心に決めた女へと、ひと皮むけたのです。
「不幸だ」「かわいそうだ」とみんなが哀れんでいたはずのニーナ、
「どこかヘンだ」と肩をすくめ、触らずにいようとしていたニーナが、
実は一番しっかりと前を向いていた。
「わたしは、かもめ」から
「わたしは、かもめ。・・・いいえ、それじゃない」へ、次は、
「いいえ、そうじゃない。私は―女優」へ、そして
「今じゃもう私、そんなふうじゃないの。私はもう、本物の女優なの」へ・・・。
タイトルが「かもめ」であることの意味を、
私は少しわかったような気がしました。
「わたしは、かもめ」は、決して楽しいセリフじゃない。
トレープレフによって撃ち落されたかもめを見て
「何かの象徴かもしれないけど、わたしには理解できない」といっていたニーナは、
いつしか
「わたしは、かつて自由で幸福だったのに、撃ち落されてしまった不幸なかもめ」を自認して生きた。
その呪縛から、ようやく解き放たれた瞬間を、この戯曲は鮮やかに描き出している。
2年の間の、辛くて、地を這うような歳月。
その生活こそが、実は自分を成長させていた、とニーナは悟る。
いまだ「相変わらず」なトレープレフとの会話の中から。
彼が、2年たっても昔の二人を追っていることに気づいて。
彼の中では、時間が止まっていることを知って、いつの間にか突き抜けていた自分を感じるのだ。
そう考えると、
トレープレフの絶望の深さもまた、違った肌触りで抱きしめられる。
劇を見ただけでは、彼が
ニーナがここまでコケにされてなお、トリゴーリンを愛していることに絶望したのか、
文士になったのに、ニーナが振り向いてくれないのが悔しいのか、
ニーナも母も名声も、
自分の欲しいものは全部トリゴーリンがかっさらっていくことが我慢ならないのか、
あるいは、自分の文才の迷路や限界に負けたのか、
イマイチわからないでいた。
違うのだ。
トレープレフは、ニーナに負けたんだ。
自分は曲がりなりにも成功した。でもニーナは失敗した。プライベートでも、女優としても。
・・・そう思って哀れみをかけて、溜飲を下げていたのに、
よし俺が救ってやろう、よよとすがってくるだろう、と思っていたのに、
会ってみたら、ちがったのだ。
負けた、と思う瞬間。
それも、自分より格下だと思っていた相手に。
その絶望の大きさによって、
そのほかの苦悩がマグマのように全部うねり上がったかと思ったら、
ブラックホールが一気にすべてを吸い込んでしまった。
生きるエネルギーも。
湖が好きで、自由で、幸福で、・・・それは、トレープレフだったのかもしれない。
何かの象徴?
ニーナの、ではなく、自分の?
「わたしは、かもめ」。

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