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亀山郁夫氏の「おやじのせなか」@朝日新聞

「この作家はこういう生い立ちだったから。
 彼はこういう恋をしたから…」などと、
作家の人生から作品をひもといていくのが、
かつての文芸評論の主流だった。
しかしその後
「作家論と作品論とは別もの」とするスタンスが台頭し、
作品を評するときに、作家の人生を加味するか加味しないかという、
大きく分けて二つの道が存在するようになった。
私はどちらかというと、
作品は作品として分析したり、評したりしたいほうである。
それはいわゆる私小説と呼ばれるジャンルが
あまりにも作家そのものの人生と比較されてのみ論ぜられることに、
辟易とした読書経験による。
その人がどういう人生を送ったとしても、
そこにある作品そのものから浮かび上がるものの素晴らしさを、
私たちは評価するのが一義的である、と
私は今も思っている。
それでも、
やはり作品と作家を厳密に分断することなど、もちろんできはしない。
その作品が出来た背景を知ることで、
作品の奥深さをさらに知ることができるという意見に、
私は反対するつもりはない。
今朝、朝日新聞で長年続いている「おやじのせなか」
(著名な人物に、父親について語ってもらうコーナー)で
ドストエフスキーの翻訳者にして評論家の亀山郁夫氏の文章を目にしたとき、
「ああ、だから亀山さんはドストエフスキーなのね」と
素直に感じた。
「父を嫌悪し、憎んでいました」から始まる彼の吐露は、
「父の兄弟に対する差別は、僕の目には強烈だった」と続く。
さらに「長男は新興宗教に救いを求め…」とくるわけで、
彼が「カラマーゾフの兄弟」に出会ったときの魂の震えが
私の胸に伝わってくる思いがした。
悩んでいても、直接当事者に聞けないことを、
文学は遠まわしに、しかし実際よりずっと深く、
おしえてくれることがある。
亀山さんが「嫌悪していた」父親を、
「姉たちは、良い父親だと言うんです。
 僕も子供を持ち、今なら父の苦しみが少しは分かる」
と言いつつも、
最後まで「果たして(彼の父親は)良い父だったのか」と自問する亀山氏に、
十分な親子関係を結べぬまま逝かれてしまった父親への、
愛情と悔恨とが垣間見える。
親孝行したいときには親はなし、とは、
こういうことも含めて真実なのだと思う。
私も、
今も元気に生きている母とは、
いさかいも多かったが今はいい関係を持っているが、
約20年前に死んだ父とは、
今ならもっと語り合えたのに、あるいは
今こそ語り合いたいのに、と思う瞬間が
多くなった今日この頃である。

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