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「盟三五大切」@松竹座

私が最初にこの「盟三五大切(かみかけて・さんご・たいせつ)」と観たときは、
小万が亀治郎、三五が菊之助、源五兵衛は染五郎でした。
その後、
片岡仁左衛門の写真集で彼が源五兵衛に扮し、
小万の首を懐に抱えた写真2枚を見たとき、
源五兵衛の小万に対する愛情がひたひたと伝わってきて
まるで仁左衛門の舞台を観たかのような気持ちになったのです。
それで、
今回松竹座で仁左衛門の「盟三五大切」がかかると聞いたとき、
一も二もなく絶対観ようと思ったのでした。
源五兵衛は
最初は無邪気に芸者の小万(芝雀)にいれあげます。
最後の最後は、とりまきもすべて加担しての大芝居を打たれ、
小万を身請けすることになって虎の子の500両までふんだくられる。
だがその直後、これらが三五(愛之助)と小万の美人局であったと知らされます。
騙した相手に騙された浅はかさを物笑いにされ、
せっかく伯父に用立ててもらった500両をだましとられてしまい
赤穂の仇討ちに加わろうとすることも叶わなくなり、
源五兵衛は復讐の鬼となって夜討ちに入ります。
これが暗闇の中の「五人斬り」という場面ですが、
張本人の小万と三五は闇に紛れて逃げおおせてしまいます。
しかし
源五兵衛は二人の逃げた先を突き止める。
「私も武士だ。もう恨んではいない」といいつつ、
ヘビのような目と、含んだような笑いを浮かべて酒をおいていく源五兵衛。
私は歌舞伎でいろいろな怪談を見ていますが、
どんな怪談より恐ろしかった。
一瞬「源五兵衛って、幽霊じゃないよね? まだ生きてるよね?」って
自問自答してしまったくらい、怖かったです。
舞台もすごく暗い。照明をかなり落としています。
仁左衛門の表情を確認するため、持ってきたオペラグラスを手に取ろうと
思っては見るものの、実行できない。
あまりに完成された舞台を「オペラグラス」などというもので
切りとることさえ憚られた。
この雰囲気を、雰囲気として味わいたかった。
毒入りの酒を置いて一旦その場を離れ、ころあいを計って戻ってくる源五兵衛。
じわじわと小万を追い詰める源五兵衛の恐ろしいほど静かな語り口から始まり、
結局小万と三五の間に生まれた赤子までなぶり殺しにする、
その容赦のない殺し方に、さらに背筋が寒くなります。
好きで好きでたまらなかった小万も殺し、
その首を掻き切って自分の居所へと持ち帰ります。
このとき、首を懐にして花道でたたずむ姿が、例の写真です。
愛しているから憎い。
愛しているから殺す。
殺したいほど愛してる。
殺したあとでも愛してる。
さっきまで鬼の形相だった一人の大量殺人者が
あっというまに恋に破れた哀れな男に戻っていきます。
彼の中の、どの感情もみな理解できる。
そういう人物造形を、仁左衛門はやってのけます。
正直言って染五郎の源五兵衛を見たときは、
前半はよかったのですが、後半は気持ちの変化がわかりにくかった。
お金を使い込んだのは自分じゃないか、
自分の気持ちの弱さを人になすりつけて暴れているだけじゃないか、
そこまで憎かったら、どうして首なんか持って帰るのか。
特に最後、三五が小万を通じて源五兵衛からまきあげた金は、
すべて不破数右衛門のために調達しようとしていたのであり、
その不破数右衛門とは、実は源兵衛その人だったとわかるのだが、
なんてことをしてしまったんだ、という三五の気持ちは理解できても、
その金をもってすぐに赤穂義士になっちゃおうという源五兵衛には
「それだけ悪事働いて、義士ですかぁ?」っていう感じが拭えなかった。
この凄惨な連続殺人の最後が
「よかったですね、お金も戻ってきたし、できますよ、仇討ち」って
そういう終わり方、ありですか?ってね。
だけど、
今回は違った。
源五兵衛は最初、小万や三五にはめられたことへの憤りと、
忠義のための金をまきあげられたことに憤慨して五人斬りをする。
しかし、
暗闇の中、小万と勘違いして芸者の菊野(松也)をあやめてしまったことなどは、
そうとわかってからは申し訳なく思っている。
だからこそ、ホンボシである小万と三五は絶対にしとめねば、と
かえって憎しみは増幅し、彼は「鬼」となる。
ところが
その二人をしとめぬうちに、五人斬りの犯人として捕らえられそうになった時、
源五兵衛(実は仇討ちの機会を待つ不破数右衛門)に
ずっと付き従っていた家来の弥三郎(薪車)が
「下手人は私です」と嘘の名乗りをあげて、身代わりとなる。
小万にいれあげる主人をずっとたしなめ続けてきた弥三郎が
縄につきながら「必ず本懐を」と訴えかけるに至り、
源五兵衛はまた一つ、十字架を背負うこととなる。
そして極めつけが「三五大切」だ。
小万に「あなたのため」と聞かされていた彼女の腕の彫り物「五大力」が
「三五大切」に彫り変えられていたことを見て、
源五兵衛は「そこまでこの身をたばかったか!」と逆上する。
ここからはもう理屈などない。
ただ憎しみが炸裂し、人でなしのなぶり殺しが展開するのみだ。
「(三五と)こんな赤子までもうける間でありながら・・・」と声を絞り出し
赤子まで許せなく思い、
その赤子に近づこうと、斬られても斬られても這いずり寄る小万を
またまた憎く思い、
母・小万の目の前でまず赤子を殺し、
絶望した母・小万にとどめをさし、首を掻き切る。
凄絶きわまりない修羅場である。
しかし、その首を抱いた源五兵衛はもう、
殺人者ではなく、愛の男。
このコントラストにこれほど説得力があるとは。
首を抱いて居所に戻った源五兵衛は
これだけのことをしてしまった自分には、もう義士に加わる資格はない、と
すべてをあきらめ小万の首を前に酒を飲む。
どんなに忠義が大事でも
それより小万が好きだった。源五兵衛とは、そういう弱い男だったのだ。
弱いだけで、
鈍感なのではなく、ちゃんと感情の揺り戻しがある。
そこが分かりやすかったのだと思う。
最後は、義士に加わる。
三五が「悪いのは私です」と切腹して、
殺人鬼・源五兵衛に、不破数右衛門になれ、と促すからだ。
つまり、
源五兵衛の罪は、弥三郎と三五という二人の家来が引き受けた。
その代わりに源五兵衛(=不破数右衛門)は
弥三郎が切望していた仇討ちに加わり、
いまわの際の三五には
三五最愛の妻・小万(妻としての名はお六)の首を持たせてやる。
こうして家来は忠義に死に、主人もそのまた主人のための忠義に走り、
結局は忠義のために死ぬ運命となる。
そういう結末なのである。
あー。
濃厚。
とにかく、おもだった人たち、全員死んじゃうんだから。
このおなか一杯の濃厚さ、
「いきなりクライマックス」&「どこまでいってもクライマックス」な
ジェットコースターストーリー、
どこかで見たような…。
その話は、明日。
「本日は、これぎり」 チョン!

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