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墨東綺譚改版
「墨東綺譚」は、かなり昔に読みました。高校生の頃かしら。
永井荷風という「すごい作家」がいて、その代表作、というからです。
でも、
どこがいいんだか、まったくわからずじまいでした。
「読んだ!」
それだけ。
でも、高校生にわかったらそっちのほうがおかしい。
くら~い娼窟の雰囲気と、エロおやじですから。
人生のやるせなさ、人間の弱さ、男と女の不可思議さ。
そんなもん、わからないのが若さってもんです。
「哀しい女の物語」として見たって、
若い娘はそーゆーの、キライ。
もっと自分を持って生きようよっていう感じになっちゃう。
だから、
映画になったって、イマイチ食指が動かん。
ポルノでしょ、結局。っていう感じ。
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永井荷風役に津川雅彦、
お雪には墨田ユキを抜擢。
大胆濡れ場があるということで、この起用はものすごく話題になりましたが、
女性の私から見ると、「ほら、やっぱポルノ路線じゃん」。
だから見ませんでした。
ただ、
私、この新藤兼人の脚本、持ってるんです(「シナリオ」1992年4月号)。
今回TMAの試演会を見て読み直したんですが、
やっぱ年とると(笑)見えてくるものがちがいますねー。
新藤さんが、この映画で描きたかったものもよくわかった。
彼は「性」というものを非常に重視しているのだけれど、
「性欲は創作欲に通ず」という永井荷風の言葉に、ものすごく共感しているのね。
そして、
性欲の衰え=創作欲の衰え=生きる意欲の衰え=老人の孤独死」と
ものすごくリアルなんだわ。
それから、
老い先短い自分が、お雪のような若い女の未来を束縛しちゃいけない、と
ひるむ場面もある。
でもその一方で、
「極楽」としての玉の井にあってこその「お雪」であり、
こっち側に引き込んだらお雪幻想も消えちゃうんじゃないか、という
男のエゴも、ちゃんと匂わせている。
女をあがめつつ女を自分と対等には扱っていないんです。
杉村春子と乙羽信子が出ています。
そういうのが「すごいなー」って思っちゃうようになってしまいました。
これより前にも、
映画化されているんですね。
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お雪、山本富士子です。
こちらの映画も未見です。
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TMAでもやった菊田一夫脚本の舞台版「墨東綺譚」は、
1991年と1992年、帝国劇場でやっています。
いずれも主演は浅丘ルリ子。
ここで注目したいのが、浅丘がお雪と千代美の二役である点。
そこでラストのセリフ
「お雪を書きながら千代美を思っていた」が生きてくるわけです。
「昼は貞女、夜は娼婦」が殿方の理想だってよく言いますけど、
新しい女、古いタイプの女、
耐える女、自己主張する女、
女性はいつも多面体。
いつもの顔とは違う表情にハッとする、それこそが、
恋の妙味かもしれません。
こうした映画化、舞台化をするときは、
みな「墨東綺譚」だけでなく、
同じく荷風の手による「断腸亭日乗」も参考にしています。
菊田さんの脚本は、
荷風が「断腸亭日乗」にあるさまざまな女の生涯をお雪一つにまとめたものを、
逆にいくつもの女に新たに振り分けていった感があります。
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断腸亭日乗(上)
昨日、
「種田のずるさが描かれなければ、この物語の核心は見えてこない」
と書きました。
「少なくとも、現代性は」とも。
「玉の井は極楽」という描き方は、実は非常に不公平なのであります。
玉の井で、女は売り物です。
売り物の女に「お前ほどいい女はいない」と言っても、
それは男のポーズでしかなく、
その「女」とは、無責任に買ったり捨てたりできる「女」でしかないのです。
その対極に、種田の妻がいます。
「男より頭がよく、地位もある女」は始末に悪い、と種田は言います。
実家を鼻にかけ、夫を見下して、一緒にいられない、というのです。
でも、
玉の井で種田がいい思いをしているのは、
ここでは種田が「女より頭がよく、地位もある男」だからでしかありません。
もし妻より自分のほうが「頭がよく、地位もある」男であれば、
きっと満足しているでしょう。
妻を支配できたから、満足するだけで、そこに愛はありません。
お雪のことだって、本当の意味で「愛している」と言えるのでしょうか。
「お前といると、気持ちが和らぐ」は真実でしょうが、
妻ときちんと別れようともせず、
職にもつかず、
いまだに独身だとウソをつき、
エロ本の作家だというお雪の思い込みをいいことに、
自分の身の上はまったく話しません。
お雪が行方をくらましてくれて、きっとほっとしているでしょう。
「女房とは別れる」と言っているけれど実は恐妻家。
そんな男です。
今の世の中、こんな男は通用しません。
種田を「やさしい人」「実のある人」と描くだけでは
玉の井がどこまでも男の幻想の地で終わってしまうのです。
そこに男たちが「逃げ込んだ」という現実が
どこかに描かれていて初めて、
この物語はバランスが保てるのだと思います。
とはいえ、すでにセリフの量は決まっていますから、
表情やしぐさがとても大切ですね。
種田は当たりはソフトであっても、
ヒモの重吉とそれほど変わらない男なのであります。
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「墨東綺譚」と「断腸亭日乗」
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