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「日本沈没」平成版vs昭和版(@シネパトス)

「首」を見ようとシネパトスに行ったら、
なんと「日本沈没」との二本立てだった!
それで、「日本沈没」も観ることにしました。

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「日本沈没」といえば、
若い人にはクサナギくんと柴咲コウの平成版を思い出す人が多いだろう。

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私はリアルタイムで最初の映画を観て…
……観ている、と思い込んでいましたが、
映画館で今回初めてわかった。
私が知っているのは、映画と同時期にやっていたTV版のこちら。

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小林桂樹はどちらにも出演しているので、
それで記憶がごっちゃになっていたのね。
……というわけで、以下
映画版、昭和の「日本沈没」初見のレビューとなります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず冒頭。
平成版では、日本の春夏秋冬が美しく映し出され、
そこがこれから起こる悲劇をいっそう際立たせていたけれど、
昭和版は、
「1973年の日本人の営み」が次から次へと映し出される。
たとえば、銀座の歩行者天国。人、人、人の黒い頭。
たとえば、JR=当時はまだ「国鉄」のラッシュアワー。
ものすごい量の人間が、国電からあふれ出てくる。
そう、このころは、山手線とか首都圏を走る線は「国電」と言っていた。
(「E電」っていう言い換えは、すぐに廃れた)
たとえば、流れるプール。流れるって流れてない。芋洗い状態で歩く人々。
そして、
野球場も映し出される。
バッターボックスには、長島選手。背番号3がまぶしい。
今だったらJリーグだったりするんだろうな、と思う。
とにかく、
35年前の日本は、人が多かった。
私たちが今の中国に感じるような「エネルギー」が
画面からたちのぼってくる。
冒頭場面だけではない。
映画の中で、藤岡弘といしだあゆみが恋人として描かれる。
(藤岡=ナギ、いしだ=コウ、ただし、いしだあゆみは金持ちの令嬢という設定)
この二人が水際で抱き合う場面を見ていて、
あー、70年代の日本の若者は、肉食系だったとつくづく思った。
大したラブシーンでもないが、それでも身体からたちのぼるフェロモンが違うのだ。
男も、女も、動物的である。
自分は連続して生きてきたからあまり気にかけなかったが、
たった30年かそこらで、
「日本」という国は、「日本人」というものは、
大きく変貌している、そのことを思い知った。
そして、
映画というのはたとえフィクションであっても、
その時代を切り取って封印する浮世絵のような機能を果たすということも
強く感じた。
1970年代というのは、
日本の映画界にとっては厳しい冬の時代だった。
だから、大スペクタクルのわりに低予算で作っているのが見え見えな部分がある。
今のようにCGでごまかすことはできない。
人々が逃げ惑う後ろがモロ映像だったりして、
もうちょっとうまく合成できないか?って客席からダメ出ししたくなる。
特撮場面は、60年代の怪獣映画に比してはるかに及ばない。
「あ、その船、ペラペラ!」
「その波の動き、どー見たって海じゃなくて、たらいの水!」
「その電柱、私が作るよりヘタ!」
…みたいな…。哀しいほどちゃっちい。
でも。
災害に合う人々は、妙に生々しかった。
人々の上から落ちてくる瓦礫や壁。
逃げ惑う人々を囲い込む火の手。
人々の必死さが伝わってくる。
おそらく、
1974年にこれを観たら、私は全然現実味を覚えなかったと思う。
テレビ版の記憶も
「あー、日本、沈没しちゃったよ」っていう印象しかなかったもの。
私が2011年にこの映画を観て、
そのちゃっちい特撮をものともせずカタストロフを心底恐ろしく思うのは、
これまでに阪神淡路大地震を経験し、
現在、新燃岳は噴火し、と
そういう災害を数々経験しているからだと思うのだ。
当時だって、
戦争を体験した世代は、きっと生々しく感じていたのだろう。
そして、
別の意味で「リアル」だった発見もある。
「日本沈没」を予知し、一人でも多くの日本人を助けようとした田所(小林)が
最後の最後に次のようなこと言う場面だ。
「本当にこれでよかったのか。
 日本人は幼い民族だ。甘い民族だ。
 何かあってもこの4つの島に還ってくればよかった。
 しかしもう日本という国はない。
 海千山千の外国人たちにもまれて、日本人は生き残っていけるのか」
いま、幸いにして日本という国はある。
しかし、
尖閣諸島しかり、北方領土しかり、基地問題しかり、レアアース問題しかり、
グローバル社会に投げ込まれた私たちは、
すきあらばとって食おうの諸外国の「海千山千」にたじたじとなっている。
火山灰のような塵まみれになりながら、
田所の言う懸念は、
別の意味での「日本沈没」を預言しているようで、恐ろしかった。
(原作を読んだ方からおしえてもらいましたが、この「塵」はアスベストだということです。
 二重に寒気がします!)
丹波哲朗、首相役を好演。
文字通り一国の命運を左右する立場に置かれたリーダーの苦悩と良心を
いわゆる丹波節に酔い始める前のまっすぐな演技で見せてくれた。
地球学といえば必ず顔を見せていた竹内均教授の、
マントルやプレートの説明も懐かしく見た。
私は小松左京の原作は読んでいないが、
原作は映画よりもっと悲惨で救いようのない話なのだという。
それを少し甘くした昭和版でさえ、
「日本人はこれからユダヤの民のように生きられるのか?」という
ものすごい不安を抱えて終わるのに対し、
平成版は
「誰かが自らを犠牲にしてでも頑張れば、日本は救われる」結末だ。
このどこか神風特攻隊を思わせるオプティミスムを
「なんとかなる」「なんとかする」の前向き姿勢ととらえるか、
それとも思考停止ととらえるか。
いろいろ考えさせられる映画だった。
あのころ、
「日本沈没」なんて絵空事として
テレビシリーズなんか午後7時ごろ、
ご飯食べながら軽~いノリで観ていて、
少し時代は下るが
同じ時間帯に同じようにご飯食べながら観ていた「宇宙戦艦ヤマト」の
「イスカンダル星まであと…」のラストのナレーションのほうに
ずっと深刻さを感じた私って、いったい・・・。

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