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「解かれた封印」米軍カメラマンが見たNAGASAKI

昨日は8月6日。
1945年、広島に世界で初めての原子爆弾が投下された日です。
そして8月9日は、長崎にも投下されました。
8月6日と9日には、高校野球の行われている甲子園でも、
黙祷の時間があったように思います。
63年も前のことであり、
当事者でなければ、「あ、昨日だったっけ」だろうし、
「この時期になると、『原爆もの』が多いよなー」と多少辟易している人もいることでしょう。
かくいう私も、
昨日はすっかり「その日」であることを失念していました。
そうだ。
原爆の日だった。
今夜、NHKで「解かれた封印」というドキュメンタリーを放送していました。
原爆投下直後の長崎に、従軍カメラマンとして入ったアメリカ人ジョー・オダネルと
彼が当時仕事以外に撮って密かに持ち帰った写真についての番組です。
私は、ジョー・オダネルの存在も、
彼の写した「死んだ弟をおぶって気をつけをする少年」の写真も、
知っていました。
が、
彼が45年間、その写真をトランクの中に入れて封印していたこと、
そのトランクを、なぜ45年後に開け、
祖国アメリカの裏切り者呼ばわりをされても原爆の真実を説いてまわったのか、
彼を突き動かすものをわかっていませんでした。
私は、彼が後年爆心地に滞在したために原爆病とおぼしき症状(背中の痛みと皮膚がん)に苦しみ、
それで事の重大さに思い至って口を開くようになったと誤解していたのです。
帰国後、彼はNAGASAKIの悪夢に襲われたといいます。
その悪夢から逃れるために、資料の一切を、緑のトランクに入れて屋根裏にしまいこみました。
結婚してからは、妻にも子どもにも、NAGASAKIの一切を話さず、
「緑のトランクには絶対にさわるな」と言ったと言います。
どんなに苦しんでも「ネガを捨てる」という選択は、彼になかった。
それが、すべてを表しているのかもしれません。
もっと言えば、
任務以外に写したものを未使用ネガと偽り、「開封厳禁」とまで書いてアメリカに持ち帰った
その時から彼の葛藤は始まっていたのでしょう。
そして45年が経ったころ、
ふと立ち寄った教会で出会ったキリストの十字架像。
そのキリストの体には、原爆被害者たちの写真がくまなく貼り込められていたのです!
オダネルは封印したトランクを開け、
憑かれたように、部屋いっぱいに原爆の写真を並べます。
そして、この写真をもってアメリカ中をまわります。
けれどどんなに誠意を尽くして説明しても、
いかなるマスコミ、いかなるミニコミ、誰も彼の写真を受け入れませんでした。
今まで一番の友であったはずの退役軍人仲間からは裏切り者扱い。
他人だけではありません。
彼と原爆の何も明かされていない妻も、夫の激変を理解できません。
模範的で、絵に描いたようなアメリカの幸せな家庭は、一気に崩壊していきます。
四面楚歌のオダネルを励ました一通の手紙。
「非難するなら、図書館へ行って、歴史を勉強してからにしろ!」と
中傷者たちを批判し、オダネルにエールを送ったのは、
息子タイグでした。
「原爆」が自分たちの小さな幸せを奪ったはずなのに。
爆心地にたたずむ子ども達が、原爆を落とされる罪など背負ってなかったように、
第二次大戦が終わってから生まれたタイグにだって、
家庭を壊されるようなことは、何もしていません。
彼が家族をバラバラにした「原爆」を憎まず、父親の遺志を継いでいることが、
私には本当にすごいことに思えました。
オダネルの言葉が録音されて残っています。
「100年経っても、絶対に間違っている」
「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もある」
「どんなに小さな石でも、水に落ちれば波紋ができる。
 いつかは広がって陸に届く。
 『アメリカ』という、陸に届く日もあるだろう」
スピルバーグの最新作「インディー・ジョーンズ~クリスタル・スカルの王国」では、
冒頭、インディがネバダの原爆実験場に迷い込む場面があります。
鉛の冷蔵庫に入って「その瞬間」をやり過ごしたとしても、
爆心地近くを歩いただけで原爆は生物の体をむしばみます。
たしかに、そこにいたすべての人が短命に終わったわけではないので、
インディーがその後倦怠感も覚えず、髪の毛も抜けず、
年齢をはるかに超えた軽快な動きで「冒険」を続けられても、
それは「絶対にウソ」とはいえないかもしれません。
潜水艦に泳いで追いついちゃうような人ですからね。
マイノリティー目線の作品を世に送り出しているスピルバーグでさえ、
あの程度の認識(というか、あそこに原爆持ってくるか?という、認識以前の認識)、
という軽いショックが、
日本の観客の脳裏には多かれ少なかれあったと思います。
でも、
それがアメリカ、なのかもしれません。
そのアメリカにあってジョー・オダネルという人は、
45年自分の中に「原爆」を抱え、
命と、人生と、家庭と、その全てを賭けて、祖国に物を言った人なのです。
「アメリカ人として、祖国の過ちをなかったことにはできない」
重い言葉です。
私たちも、日本人として、祖国の過ちに気づいたとき、真正面から立ち向かえるか。
「原爆」だからではなく、
「本当の愛国心」とは何かを突きつけて、この番組は秀逸でした。
*ジョー・オダネル氏は、去年亡くなっています。
 亡くなったのが8月9日だったというのは、言葉は悪いですがあまりにできすぎ。
 でも、病魔と闘い続けたオダネル氏が、命をふりしぼって8月9日まで生きながらえた、
 と思うと、病床のオダネルさんの心の中がふと感じられます。
*今は息子さんが父の写真をインターネットで公開したりしています。
*現在、日本でジョー・オダネルの写真展が開かれています。
 ちょっと前のですが、これに詳しい。
 現在は、長崎の原爆資料館で8/31まで。こちらに詳しい。
オダネル氏の著書もあります。

トランクの中の日本

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