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「もののけ姫」


もののけ姫(DVD)
おとといTVで放映されていたものを、久しぶりに見た。
つくりもテーマも、
本当にしっかりして穴のない作品であると、
改めて感じることばかりだった。
まず冒頭。
いきなり大イノシシの「たたり神」がやってきて、
わけもわからず命がけの闘い。
気がつけば、映画の世界にすっぽり引きこまれている。
たたり神を仕留めたアシタカが故郷の村を出るところで、
一つ映画が終わってもおかしくない。
最初がイノシシ、最後もイノシシ。
二つをつなぐ、アシタカの腕についた宿命の痕。
そして、
彼が愛したサンもまた、たたり神と化したオッコトヌシによって
アシタカと同じ痕を体につけ、
この世の終わりを生き抜き、
次の世代のアダムとイヴとなる。
鉄を精錬するタタラ場では、
売られそうになった女たちを使ってタタラを踏ませている。
火縄銃を作ったり薬を調合するのは、ライ病(現在はハンセン氏病という)の人たち。
彼らを率いるタタラ場の頭領・エボシに取り入り、
都の貴族たちが願う不老不死のためにシシ神を倒そうとするジコ坊ら師匠連の男たち。
彼らは風貌から供後人(くごにん)や神人(じじん)の類を連想させる。
(供後人・神人は朝廷や神社の仕事をし、また往来の通行が自由であった)
こうした人々は、かつては「神」の領域の人であった。
神とは、人の力ではどうにもならないもの。
大きなもので、怖くて、だからこそあがめたてまつられていた。
自然現象が恐ろしいもので、あがめられていたときまでは。
でも、自然がだんだん征服できるものになると、
「畏れ多いもの」「恐ろしいもの」は「避けるべきもの」となり、
「いやなもの」になって、ついには差別されていく。
鉄や銃といったこれまた「恐ろしいもの」を、
彼ら神の領域のものに作らせるというのは、
この時代がまだ中世を引きずっていることの証であり、
しかしシシ神を倒して森を切り開こうとするのは、
近世への兆しでもあり、
価値観の対立という形はさまざまな面で入りくんで語られ
歴史的な考証が非常にしっかりしているなー、と思った。
昨日紹介した「日本の歴史をよみなおす」の網野善彦氏は、
中世における遊女や非人の立場をずっと研究している人だから、
この本を読んだ直後だけにそのことをとても痛感。
そして2010年、
この「もののけ姫」を見ていると、
封切られた12年前よりずっと深刻に、
「人間が森の神を殺してしまう」ことの意味を考えずにはいられない。
「もうおしまいだ」「森は死んだ」
サンは絶望する。
モロは森の最期を予感しながら、それを宿命と受け止める。
守るべき自分らに知恵がなかった、と、半ば自嘲しつつ。
しかし、アシタカはあきらめない。
「生きろ」と励ます。自分たちのできることをしようとする。
最後まで、人と森との共存を考える。
「森」は地球だ。自然だ。
2028年には、今より気温が平均で2度上がるという。
そうなってから何をしても、もう遅いのだという。
やり始めてからなんらかの効果が出るまで、
10年は必要なのだそうだ。
つまり、2018年。
2018年が「ポイント・オブ・ノーリターン」である
という
環境研究の専門家の話をつい最近聞いた。
あと8年。
目先の豊かさを追求して「森」を切り開き、資源を消費し続ければ、
自然はタタリ神となって暴れ、
ディダラボッチは首を切られて迷走する。
「もののけ姫」はフィクションだから
首を返してもらったディダラボッチは荒れ野に緑を生やすけれど、
リアルに考えれば、
それは人間そのものが滅びて1000年も経った後に、
再び緑が蘇る、というくらいの速度の再生で、
それをアニメで都合よく、早送りして見せてもらっただけのような気もする。
ジブリのアニメには名作が多いけれど、
「もののけ姫」はその最後の金字塔だと確信した。
その内容の深さに説得力を持たせているのは、
大狼モロの声の美輪明宏である。
「演じている」とか「担当している」というレベルではない。
モロそのものだ。
大河ドラマ「義経」でやった天狗のときもそうだったけれど、
役を生きるとはこういうことかと感服するばかりである。
それにしても、
間に合うんでしょうか? 2018年…。

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