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「ブラックホーク・ダウン」


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何のために戦争をするのか?
「お国のため」は大義名分として、あなたの本当の理由は?
たとえば太平洋戦争の時、日本人の多くは「家族のため」に戦った。
銃後に残した妻を、親を、子を、そして恋人を。
あるいは、自分が生まれ育った「故郷」を壊されないように。
自分が赴く戦地が日本から遠く離れた異国の地であったとしても、
それは、「日本が、故郷が、家族が、攻撃されないため」である。
では、この映画に出てくるアメリカ人はどうか?
1993年、ソマリア・モガディシオに派遣された彼らは、何のために戦ったのか。
「ソマリアの内戦を収拾するため」
「飢餓と内戦に苦しみ、ジェノサイド状態になっているソマリアの人々を救うため」
それは、大義だ。
でも、直接的に戦いを続ける理由は?
「3週間で終わる」はずだったミッションは、倍の6週間たってもラチがあかない。
この状況を打開するため、
最新鋭の軍事ヘリ「ブラックホーク」でトップの将軍捕獲作戦に乗り出したアメリカ軍だったが、
1機の「ブラックホーク」が街の上空で撃墜される。
「ブラックホーク・ダウン!」「ブラックホーク・ダウン!」
墜落の状況を報告する無線の声は、
これから始まる泥沼の市街戦へのゴングとなった。
そのヘリの乗組員を救出するために、他の部隊が動員される。
空から、地上から。
墜落したヘリをめがけ、現地人たちも同じく動き出す。
壮絶な市街戦。
2つの死体と、2人の負傷者を救出するために、
次から次へと部隊は投入される。
またヘリが墜ちる。
その乗組員も救出しなければならない。
日が暮れ、夜の間も戦い、そして次の朝になっても、まだ戦いは続く。
「全員を連れて帰れ!」
そして軍事機密であるヘリを爆破する。これが目的だ。
2人の負傷者を救うために、19人が死に、100人以上が負傷し、
そのうちの多くは目を覆いたくなるほどの重傷を負う。
「たった2人のために」と考えてしまう私は、人でなし?
そのうちの1人が自分の兄であったり夫であったりしたら、
「たった2人」と言えないかもしれない。
でも・・・。
どう考えたって、無謀としか思えない突入。
どこからわいて出てくるのか、と思うほど、
テキはどんどん増えてくる。
男だけじゃない、女も子どもも。
ここは彼らの土地だ。
ガレキの山にしか思えない廃墟の町並みの中で、
年寄りも赤ん坊も暮らしている。
彼らはなぜ戦うか。
妻を、親を、子を、そして恋人を、
あるいは、自分が生まれ育った「故郷」を壊されないように。
そのエネルギーは、計り知れない。
この戦いで、ソマリア人は1000人以上死んだ。
戦闘員なのか、非戦闘員なのか。
軍服なんか着ている人はほとんどいない。
でも、これは「ジェノサイド」じゃないんだろう。
撃たれたから撃ち返せ、のなれの果てだ。
軍人は「仲間(あるいはその死体)の救出」にこだわる。
上官もそうだし、
戦う部隊の人間もそうだ。
「負傷者が多すぎる。態勢を整える」という冷静な指示にさえ、
「行きたい」と言う人間が多い。
もちろん、興奮状態にあることもある。
ここで引き返したら、さっき死んだアイツの死は無駄になる、そういう気持ちもある。
しかし、
一番大きいのは
「オレが仲間を見捨てたら、仲間もオレを見捨てることになる」という思いではないだろうか。
仲間を見捨てるような作戦には、とても加担できない。
それは、自分が孤立した時、同じように切られてしまうことを肯定することだから。
「絶対に助けは来る」だからそれまで持ちこたえろ、という言葉の掛け合いが、
あちこちの部隊で聞こえた。
信仰といっても過言ではないその気持ちは、
いつのまにか「組織のためには自分も捨て駒になることがある」という考えがしみ込んでいる私たちとは、
最初から違うものなのかもしれない。
戦後の日本に入ってきたアメリカの戦争映画を見て、
「どんな戦闘にもたくさんの衛生兵がいた」ことに驚いた人がいたという。
動けない者に手榴弾を渡し、どんどん進んで(あるいは退いて)いった日本軍との差か。
でも
「1人を救う」という目的のためになら、何人死んでもかまわないというやり方もまた、
玉砕と同様、
兵士が捨て駒であることに変わりない。
どんなに戦争や戦争による殺人に否定的な人間でも、
自分の隣りで戦友が銃弾に倒れれば、「敵」を憎み、そして攻撃し始めるという。
「仲間のために戦う」ことは、
非情、非人間的な戦闘に生きる軍人にとって、
唯一人間的な感情なのかもしれない。
一人の仲間の死が、大勢の敵の殺戮を呼び、そしてまた、新たな仲間の死を招く。
その繰り返しが戦争だとしたら、
もう最初の「大義」など、誰も考えていないかもしれない。
まったく不毛な作戦の、
見るも無残な「戦闘」の完全再現。
どんな立派な反戦演説より雄弁に、戦争の罪と虚しさを語っている。

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