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ファンクラブの集い

最初にできた熊川哲也のファンクラブは、
「テディズ・クラブ」。
1996年3月、大阪で立ち上げられました。
私は東京在住でしたが、
「バレエの本」という季刊誌の情報欄に小さく出ていたのを読んで、
すぐに入会。
とにかく、「優先予約」のための入会でした。
この頃は英国ロイヤルバレエに所属しながら、
毎夏日本で「Made in London」をやっていた頃。
優先予約のできるものと、できないものとがありましたね。
会員番号は70番台でした。
東京で初めて催されたファンクラブの集いには、
子どもの入院と重なって行かれなかった。
まだまだ会員数も少なかったから、
会報も、コピーして作ったような手作りのもので、
でも、それだけにこの集いに行った人は楽しかったのでは?
初めて行ったファンクラブの集いは、品川で行われた時。
ちょうど「違いのわかるオトコ」のCMに出ていたころでした。
この頃から抽選によるプレゼントがあったけど、
私は何も当たりませんでした(笑)。
でも、
帰りがけにホテルのエントランスで本人の帰りとバッタリ。
握手してもらったというのが、神様のくれたプレゼントと言えましょうか。
途中「アーサ・メイジャー」になり、
本拠地が東京になる。
会員番号は、40番台に。
会員数はすでに2000人を超えていたと思われるけれど、
番号が若くなったということは、
やめた人も多いんだな、とちょっと寂しかった。
彼が英国ロイヤルバレエをやめて、
「IndepenDANCE JAPAN TOUR ’99」を発表した時の会は新宿で。
立食だったとか、そういうことはほとんど覚えていないのですが、
会見スタイルだったので、
みんな折り重なるようにすずなりになって、
その中をマイクが行ったり来たりして、質問したりとかしていたなー。
最初の人が、流暢な英語で質問したので、
(熊川以外のメンバーは、みんなロイヤル出身の外国人だから)
なんとなく、次の人も、次の人も英語で、みたいな雰囲気になり、
ものすごくたどたどしい英語で話し始めた人が出た時、
ふっと笑い声が出たら
「笑っちゃいけない。一生懸命なんだから」と熊川氏がたしなめたのが、
とても印象的でした。
Kバレエができて少し経ってファンクラブも「Kバレエフレンズ」になり、
会員番号も、3つ目に。とうとう10番台。
最初のパーティーは着席で、テーブルごとの写真が熊川と撮影できるという触れ込み。
私は、残念ながら行けませんでした(泣)。
次は先に立食で食事、後から講演スタイルで話を聞く、という形。
このときは、写真撮影は自由でしたね。
いいカメラを持っていないと、なかなかうまく撮れません。
その後くらいから、写真撮影は禁止になりました。
1回の公演と同じくらいお金を払って、どうしてパーティーに行くのか。
人それぞれ思いはあるでしょうが、
私は「熊川哲也が何を考えているのか」を知るために行きます。
特にKバレエを立ち上げてからの彼は、饒舌です。
若い時は、突っ張っていたというか、なかなか本心でものを語ろうとしませんでしたが、
最近は、バレエに対する情熱を、非常に素直に言葉にします。
おととしのサマーパーティーでは、
彼が全幕の再振り付けのためにいかに努力しているか、
その情熱とバレエや音楽の古典、先達への敬愛とがひしひしと伝わって
私はいたく感銘を受けました。
今年は・・・
ファンクラブの情報は、クローズドなので、
ルールに従ってここには披露できませんが、
私はやっぱり、抽選にはずれてしまいました(笑)。

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