振付を見直したという今回の「第九」。初演時は第2楽章が秀逸だったが、今回の白眉は第3楽章だった。
プリンシパル宮尾の力がすごい。立ってるだけで舞台を支配。ミュージカル「ロミオとジュリエット」での「死」などの経験がそうさせるのか?
パドドゥに吹き込む情感も。踊りに意味がある。意味が漂ってくる。第九が一種のシンフォニックバレエであるとしても、その音楽とダンスに感情とストーリーを見出せる人はそうそういない。改めて宮尾のプリンシパルとしての成長と自信が身にしみた。
熊川登場の第4楽章も、祝祭気分全開だった。私は満足。満足とともに卒業かな。
圧巻の幕切れに誰もが興奮したけれど、(もちろん私も)、だけど、私は思う。「まだまだ踊れる」とはいえ、そしてそのパフォーマンスは人々を熱狂させるけれど、かつての彼を知っている身としては、どうしても物足りなさを感じてしまう。
そりゃそうだ。
もはや記憶と記録にしか残っていないシーン、彼自身にすら再現できない才能は厳然としてある。それがダンサーの宿命だし、それが彼を、古典として永遠の命を得るために作品を生み出す方にシフトさせた。
熊川はこれからも芸術監督としては進化する。彼のタレントのうち、引き継げるものは引き継いだ。それは益子倭や宮尾俊太郎が証明してる。でも、引き継げないものもあるんだ。
だからこそ、熊川哲也はレジェンドであり、唯一無二の不世出なダンサーなのである。
彼を追いかけてちょうど30年。今日は一つの、幸せな区切りとなりました。
もちろんこれからも、Kバレエは観るよ!
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