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「エンバース」

現在、東京六本木の「俳優座」で上演されている「エンバース」を観に行った。
NHKのインタビュー番組で、
ロンドンで出合ったこの演劇に惚れ込み、自ら脚本を求めて翻訳、
自分が主役を演じて今回の上演にこぎつけた長塚京三の思いの深さ、
特に「言葉」に対する矜持の高さと、
それを伝えるためのセリフまわしの素晴らしさに触れ、
すぐさまチケットを買ったといういきさつがある。
「41年前」に自分の前から突然姿を消した親友・コンラッド(益岡徹)との
長い長い不在の末の再会が、この舞台のすべてである。
なぜ、コンラッドは「出奔」したのか。
その「動機」を今日こそ明かしてもらおうとする、
75歳の老軍人・ヘンリック(長塚京三)の、愛と友情と復讐の物語。
長塚京三、益岡徹、樫山文枝(92歳の乳母・ニーニ役)の三人しか出て来ず、
その上話のほとんどは主役の長塚が一人でしゃべっている、という
かなり特殊な演劇空間だ。
しかし、
その「ほとんどしゃべっている」長塚の、押しては引いての波打つようなセリフが見事で、
一幕なんかすーぐに終ってしまったという感じがした。
では「セリフがすべて」かというと、
セリフのないときの仕草が秀逸。
まずは冒頭。
真っ暗だった舞台に照明が入ると、
長塚は舞台の正面中央に、観客には背を向けて立っている。
少し背をかがめ、
手に持った杖に寄りかかるように体重を傾けながら。
ソファの背にかけられた詰襟の白い軍服を手にとったり、
それを胸にあてて鏡に映したり、
箪笥にしまいがてら勲章をしげしげとみつめ、それも小引き出しにしまったり、
それらを悪い足をひきずるようにして歩きながら舞台のあちらこちらで演技する。
舞台の奥のライティングデスク。
隠し棚からいろいろなものを出してはながめ、そして、しまう。
馬車の音を聞いて、窓から外を密かに覗く。
「その時」の訪れを前に、「準備」を怠るまいとする緊迫感が伝わる。
それが何かがわからなくても、彼の「覚悟」が見える。
「杖」をどうするか、逡巡する場面。
いためたひざをさする仕草。
痛みを押して立ち上がるその細かい表現。
緻密な演劇プランが、私たちを「細部」へ、と引き込んでいく。
話の筋は、どこにでもあるものかもしれない。
無二の親友が、自分の妻と通じていたらしいという疑惑。
しかし75歳の老人にとって、今、
これまた75歳の老人になってしまった老人を前に
一体全体、いかにすることが「復讐」になるのか。
2時間のセリフには、ヘンリックの41年間の思索が詰まっている。
森の番小屋で、孤独のうちにめぐらせた記憶とコトバの集積。
そう、もはや人と「会話」するスキなどなくなってしまったかのように、
ヘンリックは自問し、自答する。
その自己完結の世界を、長塚は見事に体現しているのだ。
だから、この芝居は面白い。
ある人間の哲学が、すべてそこにあるから。
彼の人間的な「揺れ」が、コトバと仕草に集約されている。
何一つとして、見逃してよいものはない。
長塚は「すべて」を自分のものにしたのだ。
その完成度の高さに触れて、私は爽快な思いで劇場を後にした。
一方、
41年間の準備期間を経て今宵披露されるプレゼンを延々聞かされる
コンラッドはどうか。
原作も脚本も、ほとんどセリフがない、という難しい役ではある。
そこを割り引いたとしても、
益岡のせいなのか、それとも劇自体の演出プランなのかはわからないが
コンラッドの役作りが十分に練られていない感じがした。
なぜ、彼は戻ってきたのか。
41年ぶりに。すべての不義理を叩かれることを承知で。
そこがはっきりしない。
原作にも脚本にも、そこはしかと描かれていないけれど、
コンラッドの人となりから沸きあがってくる「帰らなければならない」という思いは、
少なくとも原作からは読み取れた。
「再会」の場面を「演出」したのはヘンリックだが、
「企画」した、つまりヘンリックを訪ねようと決意したのはコンラッドなのである。
たとえセリフの量に圧倒的な不均衡があったとしても、
コンラッドはその存在感で、ヘンリックを脅かさねばならない。
41年前までと同じように、
75歳になった今でも、
そこには二人の男の、離れがたく、熱く、共犯的な友情、
そして必要とするだけ反発もあり、
憧憬と同じだけ軽蔑も含む、
粘り気の強い、ほとんど革のバンドのように堅いニカワのような友情が存在しなくてはならない。
コンラッド、畏るるに足らず。
そんなヘンリックになってしまったところがちょっと残念。
それにしても、
ただの「女をめぐる争いにケリをつける」話かと思っていたら、
終盤になって「え?」という展開が…。
ヘンリックは、何をしたかったのか?
ヘンリックは、何を求めていたのか?
最後の最後に、観るものの心臓の一片をえぐりとり、
私たちはそのかけらを探してまわらねばならないような仕掛けになっている。
原作者のシャーンドル・マーライは89歳で死ぬけれど、
この小説を書いたのは42歳。
まだ人生の真っ只中で、熱い炎を燃やしているその時に、
まるで「41年後」を見透かしたように描く彼の筆致に舌を巻く。
「老いること」「生きながらえること」をこんなふうにみつめられる42歳は、
絶対に幸福であるはずがない。
そんなふうにさえ思う。
劇場で買った原作「灼熱」は、
舞台ではつかめなかった部分の理解にとても役立った。
この小説のレビューを書くと、どうしてもネタバレになってしまうので、
また別の機会に。

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