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「十二人の怒れる男」@シアターコクーン

このところ、
「特設ステージ」がはやりである。
この「十二人の怒れる男」も然り。
同じシアターコクーンの舞台としては、
「コースト・オブ・ユートピア」の舞台を少しコンパクトにした感じ。
ただ長机と椅子。
あとは、ステージ奥に「トイレ」へのドアと水場のしつらえくらいだ。
そこで十二人の陪審員たちが、一歩も引かずに主張しあう。
それが
「十二人の怒れる男」。
父親をナイフで刺したとされるスラム育ちの16歳の少年を、
討議もせずに「当然有罪」と11人が挙手するなか、
一人だけ「有罪ではない」と譲らない男・陪審員8号(中井貴一)の話術に
だんだんとほかの陪審員が心を動かされていき、
一貫して「絶対有罪」を叫んでいた陪審員3号(西岡徳馬)も最後は折れて、
全員一致で「有罪ではない」という評決に達する話である。
上の書き方は、セリフとちょっと違う。
実際の舞台は「有罪」か「無罪」か、で話は進むから。
しかし、
8号(中井)は最初から、
「なぜあの少年が無罪だと思うのか?」という問いかけに、
「わかりません」と言うし、
最後の最後まで
「やったのかもしれない、でも、やってないのかもしれない」
というスタンスである。
やってない可能性があるのなら、少年を電気椅子に送ってはならない。
そういうスタンスで、
彼らは意見を次々に変えていく。
たしか英語でも「guilty」の反対は「not guilty」のはず。
今回、
蜷川は最初に戯曲を読み込み始めた時点でいろいろと腑に落ちないことが多く、
そのために英語の原典にあたって作者の意図を確認、
最終的にすべて新訳(額田やえ子)で臨んでいる。
私が
「無罪」という言葉にときどき違和感を覚えたのは、
きっと「有罪ではない」という8号の主張が、
きちんと演出された結果なのではないかとも感じるのだ。
彼がプロデュースしたことのもう一つの功績は
キャスティングである。
「僕が演技指導する必要などない、
 既に自分自身の世界を確立した中年以上の俳優たち」にこだわり
「そこは譲らず、粘った」彼は、
これだけ地味な戯曲に、さらに地味な俳優たちを配して挑み、
そして成功した。
舞台は、俳優の「実力」がさらけ出されるまさに「俎上」である。
中井がいい。
物静かだが、絶対に自分を曲げない芯の強さが、
声に出るのだ。
明るくて、曇りのない声。セリフがよく通る。
しかし、単に正義のさわやか青年ではなく、
緻密で、ときに大声も出し、人をひっかけもして
言い負かしていく。
その「見事さ」と「懐の深さ」が
アメリカン・ヒーローを体現している。
論理的な陪審員としては、4号の辻萬長もいい声だ。
彼自身の役作りとして
「ただ事実を追う」がモットー。
非常に冷静で、感情に流されない。
もっともがなりたてるのは、
中井と相対するもう一人の中心人物、3号の西岡。
粗野で思い込みが激しいものの、
8号と同じく芯は一本通っている、
それも、哀しい「芯」が。
人生の悲喜こもごもを感じさせるから、
客席にほっと笑いも提供してくれる。
下手に出ながら、じっと真実を追い続け、
真摯な態度で絶対に折れないのが
11号の斎藤洋介。
ほかの出演者とちがい、
一人「東ヨーロッパからの移民」という出自が語られる。
滑舌が悪いのが瑕だが、
舞台が進行するうちに、それも一陪審員の個性のように感じられてくる。
もっとも感銘を受けたのは、
品川徹。74歳である。
セリフの一つひとつに説得力がある。
言い負かされる、という意味ではない。
心情が理解できるのだ。
今、心が動いた、今、哀しい、今、憤慨している、今、気がついた。
今そこで起きている丁々発止のディベイトや口論、暴言の嵐の渦から
ちょっとはずれたところにいて、
高齢者特有の
「ちょっと遅れて」シナプスがつながるようなところも、
とってつけたような気がまったくしない。
一人の端正で、インテリで、温和で曲がったことがきらいで、
今は孤独な偏屈老人が、そこに生き
一つのセリフを聞くと、それまでのセリフのない時間も
一生懸命考えていた、と感じられたのだ。
見終わってみて、
なるほどこれは「怒れる男」たちなんだと思う。
偏見の強い男、優柔不断な男、自分を出さない男、
いろいろいるけれど、
みんな一生懸命だ。
「陪審員」という役目の尊さを知っているからこそ、
その一生懸命さにおいてのみ、
「自分が正しいことを正しいという」その誠実ささえあれば、
どんな暴言も、どんな怒りも、
すべて流して前に進む。
自分たちに課せられた責任の重さと誇り。
評決に至った満足感と連帯感が、
「話し合う」ことの辛さと至福をおしえてくれる。
今回、私は「Z」席で、
ちょうど陪審員長の真後ろから観劇する形。
自分も陪審員になった感じがするくらいの臨場感だった。
ただ、
最後に8号が「有罪でない」になるときの表情が見えない。
正面に向っているので、後ろ姿である。
そこにすべてを賭けて西岡は演技していたことが
後ろ姿でもパンフレットからでもわかっただけに、
それだけは非常に残念だった。
*品川徹さん、唐沢さん主演の「白い巨塔」で
 絶対に賄賂なんかに折れないヘンクツ教授をやった人です。

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