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  1. 舞台
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ANJIN@銀河劇場

「ヴェニスの商人」で市村・藤原コンビを使ったグレゴリー・ドーラン。
今度はイギリス人と日本人を半々に使って、
徳川家康の時代に日本に来て、そのまま日本に住み付いたイギリス人、
ウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針=みうら・あんじん)についての
物語を演出。
徳川家康が市村正親で、
ウィリアム・アダムスの通訳となった青年を藤原竜也が演ずる。
物語はアダムスが日本に漂着し、
日本文化に惚れ、最終的には神奈川の三浦半島のあたりに
250石の禄と土地をもらって日本に定住するまでを
プロテスタント(オランダ・イギリス)とカトリック(スペイン・ポルトガル)の
日本での覇権争いなどを交えながら描いている。
藤原扮するドメニコは、
北条氏の流れをくむ武士でありながらカトリックに帰依、
神父として信仰に一生を捧げようとしている。
しかし同じイエス・キリストを信じながらプロテスタントを異端とし、
悪魔とののしり改宗しなければ殺してしまえという
ポルトガル人神父たちについていけず、心に葛藤を持つ。
徳川家康(市村)は、海外の文物や情報に関心があり、
カトリックかプロテスタントかを日本の政治や経済へのメリットを考えながら、
注意深く天秤に乗せる。
藤原はこの舞台を
「(1年かける)大河ドラマを3時間でやっているようなもの」と評す。
言いえて妙。
一見、ウィリアム・アダムスの話のようでいて、
主役は家康である。
外国文化を巧みに利用して関が原の戦いを制する歴史ものであり、
その関が原の戦いに遅れをとって大失態をやらかした息子・秀忠(高橋和也)に
自分のような才覚のないのを嘆きながらも愛し、
徳川の世を渡すべく親心を見せるも、
その気持ちはなかなか息子に届かないという、親子の物語でもある。
今年の大河ドラマ「天地人」で、思いっきり悪役に描かれた家康の
清清しいほどの知略と見識に
歴史とは、歴史ドラマとは、ここまで人の評価を分けるものかと感心するほどだ。
とくに、
大坂夏の陣で豊臣を滅ぼした後、
一人残った幼い国松を誇り高く死出の旅に送ってやろうと
やさしく、しかし厳然と言い聞かせる場面は秀逸。
名のある家に生まれたもののさだめと、
これまで家康がしてきた数々の辛い決断を思わせて、
非常に心に残る。
ほぼクライマックスがここであるとするならば、
ウィリアム・アダムスの物語は一体なんだったんだ??
そしてドメニコは??
…と感じてしまったのは、私だけであろうか。
彼らは時代のリトマス紙としての役割はあっても、
主役としての心理の掘り下げがなされないまま、流されていってしまう。
とくに藤原は「通訳」であるから、
日本語をしゃべり、英語をしゃべり、
英語を日本語に訳し、日本語を英語に訳し、
つまり、「自分の感情」を外に出すだけでなく、人の言葉を伝えもするので、
たくさん出番があるにもかかわらず、
「ドメニコ」という人物の、真に内面的な吐露の場面が少ない。
どうしてそこまで、アダムスにこだわるのか。
武士としての自分、
カトリックに救われた自分、
でもそのカトリックに全面的に魂をゆだねられない自分、
でも、「自分は確かに救われた」というその成功体験から、
どうしても「人を救いたい」と思ってしまう、
ある意味そのおせっかいさを、
私たちはどこまで感情移入して観ることができたろうか。
アダムスがイギリスを捨て日本にとどまろうとする葛藤も、
「蝶々夫人」のピンカートンの裏バージョンくらいにしか描けていない。
つまりテーマを盛り込みすぎたために、浅くなってしまった、ということではないか。
「盛り込みすぎ」は言語も同様である。
英語・スペイン語・ポルトガル語・日本語・
ガイジンが話す日本語・日本人が話す英語、などが飛び交う舞台は、
「現実」の世界としてはそうだっただろうけれど、
「3時間」の世界にまとめるのはちょっときつかった。
まず、字幕の問題。
私などは非常に前の席だったため、
舞台の左右と上にしつらえられた字幕は視野の外で見えず、
ようやく慣れてきて字幕を読んでみると、
なまじ多少の英語はわかるために、字幕とセリフがまったくあっていない。
遅れたり、次の人のセリフが出ていたりするから混乱し、
結局「藤原ドメニコ、私のために通訳して!」状態となった。
しかし、
「3時間の世界」なので、ほぼ同時通訳二元中継的になって、
英語に日本語がかぶさっていく。
字幕が観られないなら、せめて英語はちゃんと聞かせてくれ!
英語を聞かせてくれないなら、日本語で全部訳してくれ!
ドメニコ、ものすごーく端折るんデス。
(彼のせいじゃない、逐一訳していたら、時間は倍以上かかるから)
…という混乱が続いたので、
本当にアタマが疲れたっていうか、心が働くところまでいかない場面が多かった。
一緒に行った友人が
「これをイギリスでやったらどうなるんでしょうね」と言った。
様式美をうまく取り込み、異国情緒たっぷりの「日本」は、
きっとイギリスに受け入れられるだろう。
そして、カルチャーショックを受けた同国人に、感情移入できるだろうし、
新教と旧教の争いが、こんな極東の地でどう影響したか、
興味深く感じることだろう。
そして、
武士としての威厳をたたえた市村家康は、
たとえ日本語がわらなくても彼らに感銘を与えるだろうし、
同じく誇り高く居住まい美しい淀を演じた床嶋佳子には
ある人はマクベス夫人を、
ある人はサロメを連想させて
非常に強いインパクトを感じたに違いない。
コトバではないのだ。
市村と床嶋は、
声と表情と肉体を持つ役者として、他を絶対的に圧倒していた。
人間の根源的な喜怒哀楽が
生きること、そのために闘うこと、そして愛することのせつなさを
その姿が、声が、顔が、表していた。
肉体、ということでいえば、
藤原はまた、ものすごい「死体」の演技をしている。
ハムレットの最期を演じたときも思ったが
ぴくりともしない胸、腹は他の人では絶対にできないくらいのリアルさだ。
それまで「ちょっとやせすぎじゃない?体の厚みがない!」と
衣服の上からも心配になるほどだったけれど、
それはキリストの磔刑を意識したラストシーンで
見事なまでに脂肪をそぎ落とした上半身を
一枚の絵として美しく見せるためだったかとため息をついた。
また、
武士の姿になったときの立ち居振る舞いはさすがで、
そういう「これまでの自分」でないところで演じるドメニコは
彼にとっても大変だっただろうと推察できる。
日本人以外のキャストでは、
イエズス会(カトリック)の神父でどこまでもプロテスタントを敵視し、
彼らを陥れるためにはウソの通訳も平気でするドメニコの先輩・アントニオを演じた
ジェイミー・バラードが
英語、ヘンな日本語(わかりやすくよく聞き取れて表情が豊か)を駆使し、
見事な人物造形。
神の僕のはずなのにチンピラな感じがよく出て人間くささに親近感を覚えた。
ホリプロが
イギリス演劇界としっかりとパイプをつなぎ
良質な舞台を積み重ねていったからこそできた
フィフティ・フィフティな取り組みは意義はあったし成果もあったけれど、
完成度というところでは、今ひとつというのが私の感想である。
ぜひイギリスで。
現地での感想を聞いてみたい。
日本での公演は、
東京・天王洲アイルの銀河劇場で1月18日まで。
大阪・梅田芸術劇場では、1月22日から31日まで。
字幕の問題は、公演を重ねることで少しずつ修正しているらしいので、
そのあたりはこれから改善されるのかもしれない。

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