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「野火」映画で描けなかったもの


野火
神保町ホールで市川崑監督の映画「野火」を見て、いたく心を揺すぶられた私は、
帰り道、古本屋に入って原作本を求めた。
なんと真実に迫った映画か、と思ったが、
原作は映画の何倍もリアルだった。
最初の1ページ目から映画をなぞるように原作を読み進むことができるくらい、
「できごと」や「セリフ」は映画と原作にそれほどの違いはない。
けれど、
主人公・田村の心の中の描写は映像を見て想像した以上の宇宙を以って
読む者に迫ってくる。
しかし、それを「映画に欠けているもの」として糾弾するつもりはない。
映画には表現不可能。
そこを市川監督は、スパッとあきらめ、すべて切り込んだ。
たとえば、「神」について。
遠くに見える「十字架」を象徴的には使ったけれど、
その「十字架」や「教会」に端を発した田村と神との物語はすべて削っている。
ここは原作の「肝」ではあるが、中途半端に描くことは難しい。
市川サイドにここを語る言葉もなかったのかもしれない。
「神」の問題を「キリスト教」で語ることで「人間」の話からそれてしまうことを懸念したのかもしれない。
もう一つ。
田村の「左手」について。
「神」をすべて削ってしまったので、「左手」のエピソードはおのずと使えない。
ということは、
田村がどこまで、いかなる「加害者」となったかも、描き方が変わってしまった。
田村が「猿」の肉を食べたか食べなかったか。
映画では非常に微妙な描き方になっている。
原作では「自分の右半身と左半身」が、いわば人間と魂とに分裂するさまを丁寧に描写しているが、
映画では田村と永松という2人の人間に「人間」と「魂」の役をそれぞれ振って
わかりやすい設定にしている。
また、映画はフィリピンに始まりフィリピンで終わるけれど、
原作では戦後の日本にたどり着いた田村にまで言及している。
今で言うPTSD、イラク帰還兵にも通じる心の葛藤を、非常に克明に記している。
戦場という理不尽・非人間的な空間を味わい尽くした者にとっては、
日常に置かれれば「狂人」になるほかないということを、
その魂と頭脳の明晰さをもって綴っている物語なのである。
この「野火」の構想が、当初「狂人日記」というタイトルでスタートしたこともうなずける。
ただの「遠い戦場のお話」ではなく、
自分達のいる空間に「田村」がいることで起きる空気の渦を感じた。
「死」「死体」の描写もいよいよ生々しく、
映画はモノクロの時代だったからこそかえって耐えられたか、
かえってシンプルにデフォルメすることで
死体など非日常の「こちら側」に受け入れられるように処理したかと思われる。
映画もいい。
原作もいい。
どちらも心の底にずしんと響く作品。
ぜひ、一度。

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