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「モーツァルト!」(山崎/涼風)@帝国劇場(その2)

12月14日の(1)の続きです。
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父の死を予感させる夢の中で、
「幸せ」を求め、父を追おうとするヴォルフを
笑顔でさえぎる涼風真世の男爵夫人。
「あなたはもう大人でしょ。大人は自分1人の力で生きるものよ」
その笑みには残酷さが漂う。
「微笑みの影で人を陥れる」という陰謀渦巻くウィーンの社交界の笑みだ。
涼風真世と香寿たつき、
どちらも素晴らしい男爵夫人で、
香寿はひたすら慈悲深い聖母のような歌声で私たちをも癒やしてくれる。
が、涼風の夫人はちょっと違う。
一幕の「星から降る金」では、
王子、王、語り手、と役柄に合った色を出して歌を歌うため、
特に王のところは威厳ある、力強い声となっている。
女優としての活躍が華々しいために忘れてしまいがちだが、
彼女は宝塚で男役だったな、と思い出す。
彼女の「七色の声」は、
「ヴォルフガングをウィーンへ連れていきたいのよ」では自分の名案にはしゃぐように、
「コロレドには了解をとりつけたわ」では少しすげなく、
様々なきらめきを発するプリズムのように
男爵夫人の心持を表してころころと変わる。
そして極めつけが二度目の「星から降る金」である。
父の死の知らせを聞き、錯乱したヴォルフが
コンスタンツェには見えないアマデに向かって「お前のせいだ」を連発、
はらわたをよじるようにしてベッドに突っ伏し慟哭すると、
涼風の声が天から降ってくる。
しかしそれは香寿の歌のように、ヴォルフを癒やしはしない。
涼風はあたかも大天使ミカエルがごとく、宣託を下す
「なりたいものになるため
 星からの金を求め
 1人旅に出ていくのよ
 険しい道を越えて旅に出る」
険しい道を越えて。
これ以上苦しさを求めて。
「なりたいものになるため」には、
もっと自分に厳しくならなければならない。
辛くても、寂しくても、孤独に耐えなければならない。
「才能でもなく、成功でもない」大事なもの、
つまり「普通の幸せ」などは、望んではいけないのだ、と。
心配してヴォルフを抱きしめるコンツタンツェの背中越しに、
山崎ヴォルフに「行く道」を突きつける涼風男爵夫人を
山崎ヴォルフもじっとみつめて動かない。
焦点の定まらない絶望の瞳に
少しずつ正気が戻ってくる。
「少しは落ち着いた?」
コンスタンツェは違う気持ちで言ったとは思うけれど、
ヴォルフは「自分の足で歩く自分の道」を探しに外へ出る。
アマデとともに。
「なりたいもの」になるために。
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井上ヴォルフとは、才気あふれる男が古くて硬直的な親世代から解き放たれ、
新しい音楽を打ち出していく物語だ。
彼にとって、アマデは自分の内なる才能の分身である。
井上には華があり、その歌声そのものがすでに「天才」なので、
私たちはこれが「天才モーツァルト」の話としてすんなり入っていける。
中川ヴォルフは、音楽が大好きで大好きで、それをすべての人にわかってもらいたくて、
特に父親にはわかってもらたい、自然体の男の物語だ。
彼にとって、アマデは同士である。
いつも自分と一緒にいて、ともに音楽を作った。
ずっと自分と一緒にいてほしい、そう願う物語である。
山崎ヴォルフは、カンチガイ男の起死回生の物語である。
彼はほとんどの作曲をアマデに託している。
山崎ヴォルフにとってのアマデは、音楽の神様だ。
音楽の神様がヴォルフを気に入って、彼の中に宿っている。
それなのに、「自分」が作ったように思い、「天才だ」と驕る。
「自分ひとりで」栄光を獲得したような気になる。
だからアマデは怒るのだ。
「魔笛」の大成功で「モーツァルト」と書かれた幕を手に取ろうとすると
アマデは自分のものだといわんばかりに引きちぎる。
お前は私に頼っている、
お前は何も生み出していない、何の努力もしていない!と。
努力していないわけではない。
すでにヴォルフは音楽の険しい道を邁進している。
でも、足りない。
今のままでは足りない。
一幕の最後、アマデは白い羽根ペンでヴォルフの腕を刺し、
その血を以って作曲をした。
二幕のクライマックスも、これを踏襲する。
今度は山崎ヴォルフが、自らの腕に赤い羽根ペンを刺して
レクイエム作曲を続けようとするのである。
ずっと距離を保っていたアマデが。このとき初めて一歩近づく。
今まで決して渡そうとしなかった「小箱」を、ヴォルフの近くに置く。
そして
ヴォルフに白い羽根ペンを渡す。
最後にヴォルフは白い羽根をアマデと一緒に握って
心臓に突き刺す。ヴォルフとともにアマデも死ぬ。
最後の最後に、ヴォルフはアマデと一つになった。
「僕こそ、ミュージック」
最後の大合唱は「影を逃れて」である。
井上バージョンのときも、中川バージョンのときも、
アマデと2人で最後に登場すると、
私は少しホッとした気がした。
勘違いかもしれないが、
両バージョンとも、ここで赤い金モールの服を着て登場していたように思う。
だが、山崎は着ていない。
死んでなお救われないのか!?と、私は思わず身を乗り出してしまった。
(二回とも)
(赤い金モール服は、カーテンコールに着て出てきた)
「運命に従うほかないのか
 絶対に無理なのか
 影から自由になりたい」
なんという悲劇。
涙も出ない。
音楽を極めるために命を削った男の気迫が
極めるということの凄まじさが
私の胸に残ったのだった。
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あらゆる分野で、「神」と呼ばれる人たちがいる。
彼らの業を、私たちはただ賛美するが、
彼らの内なる葛藤を、どれだけ理解できるだろうか。
早くから「自分の足で歩く道」を見つけられた人は幸いである。
多くの人は神様に見初められながらも
そしてその道を愛しながらも
「その時だけ幸せになる
 燃えて 乗って 夢に溶ける 
 流れる血に シャンパン」の毎日を過ごしがちだ。
「オレは天才だ」「才能なら貴族より僕のほうが上だ」と口にして憚らず、
父親の庇護のもと放埓の限りを尽くし、
才能がありながらも道を踏み外す……。
どこかの国の、なにかの芸術の、どこかの御曹司の話にも似た
「凡人の望む享楽を排し、血のにじむような努力をしなければ
 才能は十分に開花しない」という話である。
涼風さん、どなたかの夢枕に立って、
「星から降る金」を歌ってくださいませ。
                明日は、山口コロレドと市村レオについて

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