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「路上」

昭和38年は、東京オリンピックの前の年。
ちょうど、オリンピックを来年に控えた今の北京と同じ状態である。
どう同じかというと、
インフラ整備のための突貫工事。
幹線道路の上には高速道路を建設中。
都会の空は、排気ガスに白く、そして黒く、煙っている。
すでに限界を越えている通勤地獄の解消のために、
山手線の内側では、道路という道路を掘り返して地下鉄工事。
その道路の上には、まだ路面電車(都電)が走っている。
こうした工事現場へ資材を運ぶため、
そして掘り出した土を外へ出すため、
路上はダンプカーとミキサー車の行列だ。
その差5cmくらいで衝突を免れたダンプとタクシー。
切り返そうにも、前も後ろも渋滞の数珠つなぎでにっちもさっちもいかない。
そのために、ますます渋滞の列は長くなっていく。
「○○方面の渋滞、信号3回待って動ける程度です」
そんな交通情報を伝える交通局の職員。
排気ガスも尋常ではない。
まだ「光化学スモッグ」などという言葉も、
そして対処もなかった頃。
車にエアコンなんかついてないから、タクシーも窓を開けっぱなし。
「アイドリング」という言葉もなかった。
渋滞の間中、どの車もエンジンかけっぱなしは当然のこと。
開いた窓の横には、ダンプの大きな車輪が見える。
ブファーッ!!!
排気ガスが車の中に充満。
運転手はその横で、タバコをふかし、マッチを道路に捨てるのだった。
「浅草まで。いいでしょ?」と声をかけられ、
「だめだめ」
「なんでだよー。近いじゃない」
堂々と乗車拒否。
スピード違反で切符を切られる。
給料35,000円で、1回8,000円。まだ赤ん坊の娘の顔が浮かぶ。
警察に罰金支払いに行くと、
違反した人たちで、まるで満員電車のような混雑ぶり。
支払い終わった運転手は、
信号のない横断歩道を、車と車の間を縫うようにして横断しながら
帰っていく。
そうだった。
すべての辻に信号なんかなかった。
路上」は交通局のPR映画として作られた。
免許を取る人に見せるために企画されたみたいだが、
土本監督は、あるタクシー運転手に密着し、運転手席から見た風景を中心に
画面を構成していく。
「安全運転いたしましょう」というより、
その日々の過酷さに、
罰金負けてあげられないかと思ってしまうくらい。
結局、
この映画は「おくら」になる。
交通行政の無力さをアピールしたような映画になってしまったからね。
映画のラストは地図である。
交通事故のあったところに虫ピンがささっている。
無数の虫ピン。もう刺すところがないくらい。
ポツポツと白い頭の虫ピンが。
死亡事故、だろうか。
当時、交通事故は年間30万件くらいになっていたらしい。
このあと、もっと多くなるという。
件数だけを見れば、今だってそれほど変わらないかもしれないが、
その頃と今と、道路の「長さ」が違う。
ほとんどの事故が東京周辺に集中していたことを考えると、
空恐ろしい。
そう、
交番の入り口に掲げられた「本日の交通事故」「本日の死亡事故」という看板。
今でも、三桁に対応できるようになっているのは、
一日100件以上の時があったから、なのだ。
この映画を見てから、
私は東京を見る目が変わった。
家の前の幅広い歩道がついた道路。緑地帯つき。
毎日乗る地下鉄。
3歩で渡れそうな横断歩道にもついている信号。
「アイドリングゼロ」も
「ハイブリッド」も
みんなあの時代を経て、ようやく市民権を得たのだ。
何げなく享受しているあれも、これも、
たくさんの犠牲者のおかげなのだということを、
忘れないようにしたいと思う。
*「路上」の制作にまつわるお話を、土本監督自身が語っているまとめを見つけました。
 関心のある方は、そちらもどうぞ。

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