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「休暇」


(DVD)休暇
平田(小林薫)は死刑囚を収監している刑務所で働く刑務官。
金子(西島英俊)が、収監されている死刑囚。
金子は独房で静かに絵を描くような、表情の変わらないおとなしい模範囚だが、
とうとう死刑執行の日が決定する。
刑務官たちはその事実を当人にさとられぬよう、
いつもと同じように振舞おうとする。
しかし、金子は「何か」を感じ、不安を抱く。
死刑執行は、囚人だけでなく、刑務官にとっても辛い仕事だ。
取り乱して暴れる囚人もいるし、
何より、「執行」という名の殺人に関わることになる。
人が死ぬところを目を背けず、助けもせず、
完全に死ぬまでじっと見つめているだけでも、大変なストレスだ。
だから、
これに関わった刑務官には一日休暇が多く出る。
そして「ささえ」を担当した刑務官は、一週間休暇が出る。
「ささえ」とは、
絞首刑になった囚人の、ぶらさがった体を「ささえ」る仕事。
「ちゃんと死ぬ」まで、「ささえ」る役である。
平田は、
子連れの女性(大塚寧々)との再婚が決まっていて、
連れ子との距離感を縮めたい一心で、「休暇」のある「ささえ」を買って出る。
そして「その日」。
金子の独房の前で、刑務官たちの足が止まる。
「宣告」された金子はそのとき…。
そして、執行の瞬間、刑務官たちは…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夫が録画していた映画を、一緒に見ました。
奇しくも昨日、忠臣蔵の切腹の場面のことで、
死刑執行の一部始終に立ち会っているような気分であることを書いたので、
このめぐり合わせにとても不思議な感覚があります。
淡々と、どこまでも淡々と綴られる映画は、
人の生き死にに関わる仕事の難しさを思い知らされます。
「普段どおり」を心掛けながらも、
何かしてあげたくなってしまう気持ちとか、
顔を突き合わせていることで囚人に親近感を持ってしまう日常の中、
「この人の刑を執行する」という生々しい事実をどう受け止めるのか。
難しい問題ですが、
「それでも人は生きていく」
「生きていく以上は、幸せを求め続ける」
それが人間というものだということを、思わずにはいられませんでした。
刑務官に限らず、
人のいやがる仕事をやってくれている人たちに、
感謝したい気持ちになりました。
それにしても、
死刑執行を宣告され、執行室に連れて行かれ、
そこで牧師さんか神父さんかから話をされ、
水とタバコはそこでのむことができ、
遺書を書いてなければ書くことができ、
それが終わるとすぐに目隠しされて
手錠されて執行されてしまうんですけど、
通常こういうプロセスなんでしょうか?
死刑囚は収監されるときに「私はクリスチャン」とか通告しておくのかな。
その場にキリスト教の宗教者しかいなかったのが妙に気にかかる。
アメリカの映画とかだと、
自分の独房で宗教者とは会えるみたいだけど、
最後に宗教が必要か不要かっていう議論は別としても、
必要であるならば、もうちょっと時間をかけてあげてほしいなー。
宣告されてから執行までの時間が長いほど苦しみが増える、というのが
この「あっという間」の執行につながっているというのは理解できます。
でも、
この映画で見る限り、
あまりの「あれよあれよ」の中の出来事で、
あれじゃ、何をどう説明されたって成仏できない気がする。

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