黒澤明監督の没後十年を記念して、
NHKのBS放送で、黒澤明特集をやっています。
「やっている」というのは、
全30作品を放送すべく、すでに4月から始まっていて、
今年の暮れまで続く長丁場だから。
5/3(土)には、本家本元の「椿三十郎」をご覧になった方も多いのでは?
昨日は、かつて黒澤監督のことをとり上げたドキュメンタリー番組を、
連続して放送していました。
こういうところ、NHKアーカイブスは強いよね~。
30年前、「影武者」を作っている頃の黒沢監督、70歳くらいですが、若いです。
Tシャツ姿で、いちいちイロイロ、キャスト・スタッフを怒る、怒る(笑)。
頭の中にすでに1本の映画が出来上がっているのは、
彼の描いた克明な絵コンテを見れば一目瞭然。
「なぜできないんだ?」が彼の頭をグルグル回る。
すべての動作には流れがあって、すべて「理由」があるのに、
みーんなそれを理解してくれないんだから!
「(絵や小説みたいに)一人でできる仕事だったらどんなに楽か、とも思うよ。
でも、みんなと仕事するのがいいんだよね」
そうなの?
「自分の思ったとおりのものができると、機嫌悪いんだよ」
いろいろな人の意見が出て、自分の思ってもみないものができあがるのが
楽しいんだって。
要求するものが高いってことですね。
「オレのやりたいことはちゃんと理解して、その上でユニークなことやってみろ!」ってね。
その点、
三船敏郎という人は、ほんとにすごかったらしい。
「理解のスピードが違う」と言っていた。
ニューフェイスの審査の時、
「すごいのがいるんだけど、落ちそうだ。態度が悪すぎる」という逸話、
なんだか、笑っちゃいます。
淀川長治が黒澤明を語るインタビューも面白かった。
「黒澤は、映画の言葉を知っている。だから、
欧米の人に見せると彼らはすぐに共感して拍手を送る」という話が面白かった。
実は、このBSの「没後十年」の放送で、久々に「用心棒」を見たのだけれど、
これは、モダン、というか、思いっきり西部劇だな~、
そりゃ、西洋の人、マネしたくなるよね、と思ったばかりだったから。
「七人の侍」「用心棒」「隠し砦の三悪人」などがよく言われますが、
黒澤の作品は、その後の世界の名作に大きな影響を与えたけれど、
その源は、ジョン・フォードの西部劇をはじめとした西洋の映画の数々だった
ということなんだなー、と思いました。
また、黒澤自身が話していたもので、
「羅生門」については、
伊丹万作監督が撮るはずだったサイレント映画用の脚本を読んでいて、
これはいつか映像化しないともったいない、と思っていたものを実現したもの、
ということでした。
なるほど、あれは「サイレント映画」の緊迫感だったんですね。
黒と白のコントラストもそうですが、
セリフがない場面が多い。
セリフなんかなくたって、映画は成り立つ。
トーキーだから音を、カラーだから色を、という
「新しい技術をとり入れれば、新しい作品ができる」という安易な考えを斬って捨て、
「温故知新」で映画の本来の魅力を浮かび上がらせたものなんだ、と
非常に納得しました。
「若き日の黒沢明」という番組の中で、
彼のすぐ上の兄が「須田貞明(ていめい)」という人気活弁士だったことを知りました。
トーキー映画の流入によって活弁士たちは職を奪われ、
争議の先頭に立つも失敗、
27歳という若さで亡くなった、ということです。
ずっと「兄貴に小遣いもらって暮らしていた」黒澤青年が仕事をし出すのは、
この兄の死がきっかけなのです。
トーキーの時代に映画を作りながらも、
彼の心の中にはお兄さんとともに愛したサイレントの素晴らしさが
深く刻まれていたということですよね。
それにしても、やはり「羅生門」はすごいなー。
フェリーニ監督がツバ飛ばしながら、夢見心地でこの映画を見た時の感動を語る場面は、
それを見ているこちらも感激してしまいます。
映画という文化が世界に広まって日本に流れ着き、
この「日本」で大輪の花を咲かせて世界中が賞賛した、ということでしょうか。
黒澤監督だけでなく、
カメラの宮川さんとか、俳優の三船さんや京マチ子さんや、
「オレのやりたいことはちゃんと理解して、その上でユニークなこと」できる人たち、
黒澤監督をうならせることのできる人たちとの共同作業にして
初めてできる芸術ですね。
黒澤明特集、まだまだ続きます。
白黒映画にあまり慣れていない若い人たちも、
一度見始めれば慣れてきますので、ぜひチャレンジしてみてください。
(しかし、「夢」に出てくる狐の嫁入りの場面は、
誰でも「コワイ」と感じるんですね~。淀川さんも絶賛していました。
コワくて、そして美しいです!)
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