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映画「心の指紋」


 【中古DVD】心の指紋/ヒューマン
マイケルは、ロサンゼルスの大病院で、がん専門の医師をしている。
部長のポストが空席だ。そろそろお呼びがかかる頃・・・。
赤いポルシェは買ったばかり。
ブロンド妻は、プール付きの大きな家を買いたいとせがむ。
3歳の娘のベッドはぬいぐるみでいっぱいだ。
そんなマイケルのもとに、
刑務所に収監されている16歳のナバホ族出身の少年・ブルーが診察に連れてこられる。
末期がんの患者。
同僚の意見は「研究所の病棟送り」。
カネを気にせず治療できるから。
しかし、マイケルは反対する。
「あそこに入れば、死ぬまでモルモットだ。そうなるには患者が若すぎる」
「いいじゃないか。どうせ囚人だし」
上司の意見で、話は決まる。
前科6犯・父親殺し。何もしなければ、監獄で死ぬ運命だ。
マイケルは、担当医として研究所まで少年を送っていく役となる。
しかし、
ブルーは1枚も2枚も上手。
自分の死期を知り、彼らの「たくらみ」に気づき、
護送警官をたたきのめしてパトカーからの脱走を謀る。
異変に気づいてポルシェから降り、近づいてきたマイケルを人質に、
マイケルのポルシェに乗り込んだブルーは、
本で読んだ、そこへ行けば病気も治るというナバホの神秘の山へと向かう。
名作「ディア・ハンター」の監督・マイケル・チミノの作品だ。
ネイティブ・アメリカンの精神、
裕福な白人とスラムの黒人の生活格差、などなど、
いろいろなテーマが盛り込まれている映画だが、
今日は
「子どもの終末医療ときょうだい児」を焦点にこの映画を見てみたい。
マイケルには、体の弱い兄がいた。
兄は、ありとあらゆる終末医療を受け、ブルーと同じ年齢の頃に死ぬ。
兄の生と死は、大きな重しとなって、その後のマイケルに影を落としているのだ。
彼がなぜ、がんを専門とする医師になったのか。
彼がなぜ、ブルーの「研究所送り」に反対したのか。
ブルーの人質だったはずのマイケルが、
西洋医学の医師であるマイケルが、
気がつけばブルーを神秘の山に連れて行くために、自分のすべてを賭けている。
それは、なぜか。
兄からもらった指輪のエピソードの数々は、
きょうだい児の心を描いてあまりにも切ない。
現在、終末医療を受け、ICUから出られないままの子どもたちに対し、
積極的治療を考え直す機運が高まっている。
彼らをそこにとどめ続けていることは、本人にとっても家族にとってもいいことなのか?
・・・・・・という疑問からである。(2008/7/6朝日新聞記事より)
ちょっと待った!・・・と、私はいいたい。
その疑問は、誰から出た疑問?
人の死については、様々な意見がある。
その意見一つひとつには、一生けんめい考え抜いた跡がある。
だから、
私はそのどれをも否定はしない。
けれどそれが「本人にとって」「家族にとって」いいことかどうかは、
その「本人」や「家族」にしかわからないし、
彼らだって、「その時」思ったことが、「後で」どう思えるかはその時点では想像もつかない。
話を切り出さなくてはならない現場の医療関係者にとっても、
これほど荷が重く、つらい責務はない。
だからこそ、ガイドラインがほしい、という気持ちもわからないではない。
家族が、本音でこの問題を語りあえる場も必要だろう。
しかし、「後期高齢者医療」や介護保険をはじめ、
医療が「カネ」の問題で大きく左右される今日この頃。
杓子定規に「もう生きててもムダでしょ!」と引導を渡すような雰囲気が
安易に世論に蔓延しないことを望む。
人の生は、そして死に立ち会った葛藤と記憶は、
いつまでも人間の心に残るものだから。
マイケルの頭を何十年も離れることのなかった「あの瞬間」が、
そして兄の思い出が、
そのことを語りかけている。
このテーマについては、私の友人こがにさんが当事者の立場からブログに書いています。
そちらもぜひ、お立ち寄りください。

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