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「ジーザス・クライスト=スーパースター」ジャポネスクパージョン

今を去るウン十年前、「エルサレム」と「ジャポネスク」どっちをみようか悩んだ挙句、
結局「エルサレム」にした理由は
「なんで、キリストに歌舞伎メイク?」
この不可解さに尽きました。
もちろん、今みたいに「くらべて観る」という文化が身についていれば、
絶対どっちも観ていただろうけど。
当時はそういう習慣も見識も、おカネもありませんでした。
そしてようやく、観てきました! ジャポネスクバージョン
感想。
これは、なかなか凄い!
和楽器も入っての「Overture」の、たたみかけるような切迫感。
傾斜した床の一部を構成していた大八車の一つがぱたんと倒れたそのへこみから、
有象無象の群集の塊が、
まるで「ナウシカ」の王蟲のように登場する。
群衆は恐ろしい。
出だしに感じるこの不気味さは、ジャポネスクバージョンを通し、
一貫して語られる大きなテーマである。
音楽に関して言えば、和楽器を使った曲の方が編曲に工夫があり、
それが演出にも影響していい味が出ていた。
特に、ユダがキリストを裏切り密告するかどうか迷うところ。
映画では戦車が出てきたり、とユダの夢想をイメージで表している。
ここが秀逸。
大八車を廊下のように細長くつなげた上を、ユダが能楽師のような足さばきで進む。
オリジナルの曲自体、ロックミュージックとはかけ離れたニュアンスなのだが、
それにピッタリあって私はうなってしまった。
訳詞は「岩谷時子」。
英語版、ほとんど全部歌えます、状態までどっぷりつかっている身に、
「だーれだー、だーれだー、あなたは一体だーれだー」
だけは、ほんと、いつ聞いても「どうにかならなかったの?」って思いますが、
でも、
今回は、訳詞がかなりジーザスワールドを具現していることを再認識。
特にユダの歌。
彼の中のジーザスへの気持や逡巡が、よく伝わる歌詞となっている。
それから「ゲッセマネの園」で使途たちが歌う歌。
こちらも心にしみる。
さて。
褒めちぎった後で何なんですが。
このところ、日本のミュージカルは質が上がった上がった、とこのブログでもよく書いている。
以前紹介した「スウィニー・トッド」や「ジキル&ハイド」に比べて、
この「ジーザス」はどうだったか。
作品としてはひけをとらないが、
パフォーマンスとしては、ワンランク下だと思う。
何と言っても「スター不在」の哀しさだ。
それは、四季のシステムの特徴でもあるから、ある程度は仕方ない。
単に有名な人が出てないと面白くない、ということではなく、
「この人は、一体誰??」と思わず身を乗り出してしまうような迫力が、
感情のほとばしりが、
感情と一体となった超絶なプロとしてのワザが、
主役級の人々に感じられなかったのだ。
このことは、決定的。
板に上がれば、演出より演技。舞台は役者のものなのだから。
たしかに、難しいのである。
この楽曲、音程の高低は桁外れだし、感情の起伏も激しいし、
今まで恨みつらみを神に言っていたかと思えば「もういい、わかった」みたいな、
その決断はどのあたりで、どういうきっかけで??と
マイクを持って聞きに行きたくなってしまうほど。
それほど、歌(と表情)だけで表現するのは、難しい。
これが出来ていたのは、ピラト役の村俊英だけだったと思う。
ヘロデ役の下村尊則もさすが。
ただ、ヘロデは出番も短いし、キャラクターは一貫しているので演じやすい。
未完成ながら、ユダ役金森勝に一票あげたい。
全編憎々しげな声で吐き捨てるように歌っていたのに、
密告するところだけ、ファルセットで無垢に美しく歌い上げたその役作りに感じ入った。
柳瀬大輔には、ジーザスとしてのオーラがほしい。
「ただの男」ではあるが、周りには「神のよう」に見えている。
歌の内容ではキレたり弱音を吐いたりする部分が多いので、
立ってるだけ、座っているだけで人を惹きつけるような、そんな存在感がないと
ほんとに「ただの男」になってしまうのだ。
後半、歌の調子も尻上がりによくなってきたのが救い。
高木美果のマリアには、まったく魅力を感じなかった。
たしかに、音程はしっかりしているし、歌い上げる力もある。でも、
「きのうとは違う私」と歌われても、「他の男と同じはず」と言われても
「堕落させようか」と言われても、
あなたの歌声は、改心した娼婦ではなく、根っからの修道女にしか見えない。
声に表情がない、というのは、ミュージカルにとって致命的ともいえる。
精進を重ねてほしい。
いろいろ書いたけれど、
「ジャポネスクバージョン」は、一度は観るべきものだと思った。
1970年代に、この演出を生み出した浅利慶太はやっぱりスゴイ人だ。
そのアイデア。
ただ奇をてらったということではなく、
内容をきちんと自分のものにして、それを目に見える形として作り上げた。
一つのイキモノのようにうごめく群衆。
形を変えながら、ジーザスに、ピラトに、カヤパに、ヨハネに、
「いや」とは言わせぬ雰囲気を作っていく群衆の力。
四季のアンサンブルの底力が、
おのずと「群衆」をこの劇の主人公にしていったのかもしれない。

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