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「天翔ける風に」

ドストエフスキーの「罪と罰」を下敷きにして
設定を幕末に移して作られた野田秀樹の舞台を見た謝珠栄が
「これはミュージカルになる!」と思い、作られたという作品。
当時、野田は新進気鋭の若手であり、
謝は宝塚出身の売れっ子振付家としてすでにかなりの地位にあった。
そういうことがわかっているので、
「あそこはドストエフスキー」
「あそこは夢の遊眠社テイスト」
「ここは宝塚テイスト」と、
舞台のモザイクが透けてみえてしまうのが、
この話のつらいところではないだろうか。
ドストエフスキーの重く沈鬱な空気を
笑い飛ばしながらもテーマを握って話さない野田ワールドの、
小劇場的ドタバタと
宝塚の情緒的な歌声がミックスされると、
両極端な非日常がお互いのよさを相殺してしまうことがある。
観客として、どちらをベースに感情移入すればいいのか、戸惑いを感じ
深いところでの感動の連続が断たれてしまう感あり。
香寿たつきは初演(宝塚時代)、再演(退団直後)、そして今回と
常に主役を演じている。
難しい役を自分にひきつけて熱演しているが、
説得力がいまひとつ足りないのは構造的にムリがあるからだと思う。
主役の三条英(はなぶさ)は女ながらに頭脳明晰な塾生ということだが、
金貸しの老婆を殺す動機が観客の腑にしっかり落とし込まれぬままに
殺人は起きてしまう。
そのため、この英という人物が「いいモン」なのか「悪いモン」なのか、
観客は態度を決めかねながら見ることになる。
殺人という罪におののいているかと思えば
逃げおおせたことで陽気になる、という繰り返し。
老婆を殺したことは悪いとは思わないが、
居合わせた妹を殺してしまったことは悔やんで苦しんでいるのか、
よくわからない。
どんなに悪ぶっても、
「超エリート」の冷たさより、女性としてのひたむきさが勝ってしまう。
そう、観客は、どうしたって主人公に、香寿たつきに味方したいのだ。
彼女の殺人を「必然」だと思いたい。
単なる欲望の結果ではないはずだ、悔やんでいるはずだ、
そんなふうに寄り添いながら見ているのに、
ことごとくハシゴをはずされる。
それが野田のブラックな劇であれば、
ワルモノの中のかすかな良心にすがりつけるが、
宝塚じゃやっぱりキホン、いいモンだと思ってしまう。
金欲や野望にかられた果てに人を殺して自己弁護、
それを美しい人にやられてしまうと、
朗々と歌われてしまうと、
どうしても違和感が拭えなかった。
今拓也、戸井勝海、阿部裕の歌唱力は抜群。
ただ、人物は類型的で、歌唱力ほどの深みがない。
思わずレミゼを見たくなってしまった。
山崎銀之丞は、歌手出身でないのに歌をがんばっていた。
香寿たつきの殺陣は最高に鋭く、
出演しているどんな男性よりかっこよかった!

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