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「ザ・ダイバー」日本バージョン

以前、何時間も並んだのに入れなかったことを書いた
あの「ザ・ダイバー」日本バージョンが、
昨日の深夜WOWOWで放映されました。
昨日は東京国際映画祭のため、ほぼ12時近くまで六本木にいたので、
これは予約録画。
家に帰ったとき、ちょうど放送時間が終わったところでした。
我慢しきれず、寝る前に見てしまいました(笑)。
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さて、感想。
二つのバージョンを見た私としては、
ロンドン・バージョンの完成度の高さを思い知らされた。
日本人向けに脚本も少し手直しする、と聞いていたので、
もっとちがう印象を受けるかと思ったが、
意外と「踏襲」路線。
違った点としては、
ユミ(大竹しのぶ)とササキ(北村有起哉)のやりとりが、
パソコンを介したメールあるいはチャットで表現されたこと。
自分を源氏物語の登場人物と重ねて話すユミを単なる妄想ではなく、
「夕顔」や「源氏」はハンドルネームだったかも、という発想がなるほどと思わせた。
「源氏物語」の内容を、日本人がどこまで知っているかというところは
警察官(渡辺いっけい)と検察官(北村・二役)とで温度差を表現。
ユキは「国文科卒」で古典に造詣が深いと設定したので無理がない。
しかし、
肝心の野田の演出に切れがないように思えた。
般若の面や日傘を美しく使ったロンドンバージョンでは、
舟遊びの花火だって本当に見えるようだった。
その格調の高さが色あせてしまった。
大竹も、
キャサリンと異なるユミを演じようと意識しすぎたか。
夢見る夢子さんというより、現実の「女」が顔を出しすぎて、
どこか計算高くずるそうなユミに感じられ、
彼女に全面的に感情移入できなかった。
北村扮するササキは、
妻と愛人にもっとやさしく、甘い愛を囁いてほしい。
「ゲンジ」はやんごとなき男だからもてたのではなく、
女心をくすぐったから愛を注がれた。
女の前ではサイコーの気配り男が、
ときにふと見せる面倒くさそうな顔だからこそ男の不実が浮き彫りになり、
それが見抜けぬ、
あるいは気づきたくない女の哀れさも、際立ってくる。
ユミが哀れに思えない。
本妻(野田)も、かわいそうに感じない。
ただ、女二人がいがみあい、憎みあうところが
醜く目立ってしまったような気がする。
ユミは、自分の罪を忘れたいために「ゲンジ」で身の上話をしたのではなく、
本当にその物語の中で生きていた。
幸せになるために、愛人の長い不在の時間を紛らわすために。
そのいじらしさが、出ていなかった感じがする。
警察官としてユミの「うそ」を暴こうとする渡辺いっけいが、好演。
地に足がついた演技とたしかなセリフまわしが際立った。
「決して『しのぶ祭り』にさせません」と最初に言ったという、
その俳優としての自負心に拍手である。
それにしても。
能を思わせる仕草はイギリス人たちのほうがはるかに上だった。
海中を表すスローモーションも、芸術の域。
場面転換でも瞬時に異空間にいざなってくれたのは、
キャサリン・ハンターをはじめとするその身体能力の高さがあってこそ
初めて味わえるのだ、と
「ザ・ダイバー」のもつ真の醍醐味を、再認識させられた。
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でも、
ナマで見てたら、また感想が変わっていたかも、とも思います。はい。

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