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劇団四季「雪ん子」@自由劇場

劇団四季の「雪ん子」を自由劇場で観ました。
ファミリー向けのミュージカルで、
終演後はロビーに役者さんたちが待っていて握手できたりお話できたり、
ここは音楽座か?っていうくらいアットホームで、
いい雰囲気だった。
主人公「ゆき」役の笠松はるのソプラノは美しいし、
「はやてのゲン」役の丹下博喜はめちゃくちゃ踊りがうまい。
でも、
一向に心に響いてこないんだ。
うーーーーーーーーーーーーーーーーん。
以下、かなり辛口なので、
「雪ん子」を観て感動した人には不快に思われるかもしれません。
すみません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とにかく、ものすごーく、消化不良な感じがするんです。
自分なりにその理由を考えてみました。
・歌ならともかくセリフなのに、口をたてよこに大きく開けて、
 全音節同一長さ、同一強さのテヌート、 カクカクなセリフまわし。
人間として自然にセリフが入ってくる話し方をしていたのは、
加藤敬二(人さらい役)だけだったと思う。
この前、テレビで「オペラ座の怪人」の吹き替えを見たときも思ったけれど、
四季の人って、セリフに感情の起伏がない。
どうして、こんな学芸会調のセリフまわしでOKになるのか、
私には本当に理解不能。
・時代劇でクラシックバレエ踊っている違和感
江戸のお話っていうより、「オリバー・ツィスト」って感じ。
そうしたほうがよかったんじゃないか?
江戸の話にした意味がわからん。
作られたのが1975年だから、そのとき目指したものなのかもしれないけど。
今の子どもたちにこれを見せることで、
何をどうしたいのか、もっとはっきりさせたほうがよかった気がする。
幕間に子どもたちの質問に間髪いれずに答えるママがいて、
これはなんとも痛快だった。
「なんで子どもがすりをしているの?」「子どもに働くところなんかないんだよ」
「ねえ、人さらいって何?」「誘拐犯」
「ユーカイって何?」「不審者だよ、不審者」
「なんでゆきちゃんは最後逆さになったの?」「つかまったってことをわかりやすくしたんだよ。
ただ肩にのっけただけじゃ、なんだか楽しそうに見えちゃうでしょ」
なーるほどって私も勉強になりました。
そのママ「江戸時代の話だからね~、ちょっとややこしいよね」と
ぼそっと呟いていらっしゃいました。
親子でこういうやりとりができるなら、
意味があるかもしれないね。
でもね。
きっとこのミュージカルができた1975年って
まったく違う意味を持っていたんだと思う。
たとえば小学生に観てもらうとして、その親は30~35歳くらいとする。
すると、親の生まれたのは1940年から1945年くらい。
戦後の苦しい時期に、子ども時代をすごした人たちが親だ。
親を亡くし「浮浪児」や「孤児」になって、
あるいは空襲の熱い炎の下をくぐりぬけ、
死体がごろごろあるところを歩き、
すりをやらないまでも、親戚の家にやっかいになったりして
苦しい日々を体験してきた世代。
彼らが見れば、この「雪ん子」は
説明なんかいらない、自分達の物語だったろう。
子どもへの説明も、ものすごくリアルなものになっただろう。
でも、今、観るとね……。」
・なんとも説教臭い
劇団四季のオリジナルミュージカルっていうと、
私は「ユタとゆかいな仲間たち」を思い出す。
テレビで見ていたって引き込まれ、何度観ても泣いてしまう。
この差はどこにあるんだろう?
登場人物に、リアルな「痛み」を感じない。
これがすべてだと思った。
ゆきはいわゆるお姫様で、
天上から地上を見下ろし「なんであの人たちはすりをしてるの?」状態。
地上に来たのも、「彼らを救うため」。
彼女には「雪が解ける春まで」という命のかぎりはあるものの、
それは地上でだけのことで、あとはまた天上に戻る。
一つもリスクを負ってない。
一つも傷ついてない。
あってカルチャーショック、
あって「正しいリクツが通らない」ショック。
これで、今日1日生きるか死ぬかという瀬戸際の人間を
「すりはやめましょう」で説得できるはずがない。
最初に「人さらい」が
「生きるのは大変だ、悪いことしないと生きていけない」って
何度も何度も言うんだけれど、
なんか、こっちのほうがリクツが通ってるように感じちゃう。
子どもは「そうだな」って思っちゃわないか? 
私はオトナなのに、そう思ってしまった。
だから、いっくら雪の精のゆきちゃんが
「すりはダメ。悪いことはダメ。まともに働きましょう」って言っても、
なーんか共感できないんだよね。
それに、
すりをやってる子どもたちの一人ひとりにもバックグラウンドがない。
「孤児のすり」それだけ。
「仲間」「仲間」「仲間が大事」というけれど、
その前に、彼らには親兄弟とのつらい別れがあったんじゃないか。
その思い出をどう胸のなかで処理しているのか。
そういった部分が何もなかった。
悪者たちも中途半場だったな~。
逆に、ゆきを養女にした俵屋夫婦なんて、
「カネでしか物事を解決しない悪い人たち」ってなってるけど、
全然悪くないじゃん。
成功してカネはあるけど子ができない人は、今の世の中いくらでもいる。
そういう人たちの気持ちをもっと代弁する演技ができたら、
初演の1975年とはまたちがった「雪ん子」になれたんじゃないかな~。
いいことと悪いことがはっきりした時代があって、
はっきりしていたのに悪いことをせざるをえない時代があって、
そういうときは、
「いけない生き方をしている」人にも「いけない生き方だ」という自覚があった。
だから、ゆきのように、損得抜きで「悪いことは悪い」と言える純粋な人を
憧れのような目で見たり、大切にしたいという気持ちが起こった。
でも、
今は、いいも悪いも混沌としている。
「正義」さえ「悪」の皮をかぶっているとみんな知っている。
その上、
「まっとうなこと」を「まっとうに言う」のは「ダサイ」と思われる世の中だ。
それをいかに「ダサくない」「やっぱり大切だね」と思わせる仕掛けが
この「雪ん子」にはなかった。
今の時代にこの話が斬りこんでいくには、
話にも役者の演じ方にも、リアリティが欠けていたように思う。
長く残る話を作るというのが、いかにむずかしいことか。
今回は、それを強く強く感じた。
あとね。
せっかく笠松さんとか丹下くんとか、素敵な俳優さんを知ったのに、
彼らを目当てに演目や公演日を選ぶことができないって
もったいなくありませんか?
キャストはやっぱり予告するべきだと思うんですけど~。

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